2010年12月24日金曜日

⑮黒髪という曲のお話

今回は、「冬」を感じる曲のご紹介です♪

川端康成の『雪国』の文中にも
ヒロイン駒子の
「小さい時こうして習ったわ。」
「く、ろ、かぁ、みぃ、の……。」

という様子が書かれている様に、
習い始めの手ほどきとして使われる曲ですが、
情緒があって美しいので親しまれてきました。




歌詞は以下のようになっております(^.^)

黒髪の むすぼれたる思ひをば
とけて寝た夜の枕こそ
ひとり寝る夜は仇枕
袖はかたしく つまじやいうて
愚痴な をなごの 心は知らず、
しんと更けたる鐘の声
昨夜(ゆうべ)の夢の今朝さめて
ゆかしなつかしやるせなや
積ると知らで 積る白雪


天明4年に「大商蛭小島(おおあきないひるがこじま)」という
中村座の芝居が上演されました。
伊藤祐親(すけちか)の娘辰姫が
頼朝への恋を政子に譲り、自分の髪を梳きながら
嫉妬に胸を焦がす情景のBGMに
この曲を使ってから
曲が親しまれてきました♪

『黒髪』の様に、
もともと地歌ですが、少し変化して長唄や、
小唄でも演奏される様になった曲は
他にもいくつかあります。

2010年12月21日火曜日

⑭新浮船 という曲のお話

『新浮船』という曲のお話です。

「新」とついておりますのは、この曲が作曲される以前に、
『浮舟』という曲が作られておりますので
区別する為についております。

歌詞は、源氏物語 宇治十帖の中の「浮舟」の物語を題材にしています。





<歌詞>

まれ(め)人の 心のかをり 忘れねど

色香もあやに咲く花の あだし匂ひにほだされて

包ましき名もたちばなや

小島が崎に誓ひてし

其浮船の行方さへ いざ白波の音すごき

身も宇治川の藻屑とは なりもはてなで世の中の

夢の渡りの浮橋を たどりながらもちぎりはあれど

すずしき道に入れんとて 現にかへす小野の山里



「宇治十帖」といいますと、

54帖あります源氏物語のうち、最後の10帖をいうのですが、

宇治を場面として書かれておりますので「宇治十帖」といいます。


「源氏物語」は、今や海外の方でも研究なさっている方がいらっしゃるほど
日本を代表する物語で

貴族の方も、絵巻を作って残すほど 愛読されていたのですね。


      

この、「源氏物語絵巻」は、2千円札の裏にも印刷されて話題になりました♪

江戸時代に作られたこの曲の歌詞も、

当時の人が読んでいるであろうことを前提に

歌詞では単語を織り込む形で書かれています(*^。^*)


まめ人=薫大将
色香も…匂ひに=匂宮
たちばな 小島=ひそかな逢瀬をした小島

といった様に書かれています。

浮舟は 薫と匂宮の板挟みに合い、悩んだ末に宇治川に身を投げようとして
果たせず横たわっているところを
僧に助けられ、仏門に入るのですが、

その宇治川の流れを手事という、

歌のない部分の合奏で表現しているとされています。
     


三絃は、物語の雰囲気が伝わる、

透明感がある音色の「二上がり」の調子で最初から最後まで弾きます♪


さて、宇治といえば

10円玉の裏にもあります、

宇治平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩をご存じの方も多いことと思います。



箏、笙、琵琶、鼓…様々な楽器を持っています。

他にも、舞を踊っていたり、歌っていたり…

その表情は皆穏やかで、

さぞかし豊かな合奏が…と音色を想像してしまいます(^。^)♪♪


 

2010年12月11日土曜日

⑬胡弓のお話

前回、三曲合奏についてのお話を書きました♪
その中で、「胡弓」との合奏に触れました。


「胡弓」というと、
少し前に流行りました「二胡」という中国の楽器を
イメージなさる方が多いというのを読んだことがあります。


実は、「弓」で弾く楽器のことを指して「胡弓」と呼んでいる様で、
初めてヴァイオリンが日本に入って来た時にも「胡弓」と呼んだそうです。

名称として「胡弓」と言いますと、
日本の楽器のことを表します♪
     
では、中国の「二胡(あるふー)」と日本の「胡弓」は、
どこが違うのでしょう?




二胡は、
水を汲む柄杓の形をしています。
胴には蛇皮を張っていて、弦は、金属で出来ています。

日本の楽器、「胡弓」は、
沖縄の胡弓は蛇皮を張り、形も異なりますが、
その他の胡弓の形は三味線型をしています。





















写真の胡弓は、地歌・文楽・歌舞伎・民謡などに使われていまして、

三味線よりもかなり小振りで2/3ほどの大きさで

弦は、三味線と同じ様に絹糸で、皮は猫が多いです。

その後、宮城道雄が考案した「宮城胡弓」はもう少し大型です。

弓は、「二胡」も「胡弓」も馬の尾ですが、

日本の胡弓の弓は、
かなり緩く張ってあり、演奏時には引っ張って張力を与えながら弾きます。

まだ、三味線のことを書いていないのですが、
三味線が沖縄に伝わり、沖縄から本土に入って来た時には
やはり蛇皮が張ってあり、丸い形の胴をしていたとのこと。


本土では捕れない蛇の代わりに
猫の皮を張る様になったのですが、
伝来がよくわからないとされている胡弓も、
関係があるのでしょうか??

2010年11月25日木曜日

⑫ 三曲合奏についてのお話

今回は、演奏会等でよく見受けられる、
琴、三味線、尺八の合奏についてです。



江戸時代より行われてきました、
三味線による座敷音楽と、家庭音楽を「地歌」といいます。

そして、八橋検校(1614~1685)から始まった、近世箏曲があります。

初め、「地歌」と「箏曲」は、
全然 別のジャンルとして それぞれ発展していきました。

生田検校(1656~1715)がきっかけで
「地歌」と「箏曲」の交流が始まりました。

初めのうちは、
三絃(三味線)のメロディーと
全く同じものを 箏(琴)が弾いていました。

その後、
三絃が先に作曲されたのを受けて、
より合奏が趣きある様に…と、
合奏用に箏の手が作られていきました。

江戸中期になりますと、そこに胡弓が加わりまして、





箏・三絃・胡弓による合奏が行われる様になりました♪

戦国時代が終わり、
急増した浪人たちが「普化(ふけ)宗」を立てて、
尺八を演奏し、托鉢をして生活いました。

明治4年に普化宗が廃止されると、
職を失った虚無僧(こむそう)たちは、
尺八奏者として一気に広がりました。

そして、胡弓が弾いていたメロディーを、
尺八が演奏するようになり、
箏・三絃・尺八による合奏もみられるようになったのです。


一気に尺八奏者が広がった為でしょうか、
胡弓よりも尺八が普及しやすかったのでしょうか、

箏・三絃・尺八による合奏の形の方が現在、
多く見受けられるようになりました。

箏・三絃・胡弓による合奏、
箏・三絃・尺八による合奏のどちらも
「三曲合奏」というのですが、

洋楽の三重奏とは違って、
三曲合奏では、三つの楽器の音色の融合の美しさが問われます☆


2010年11月17日水曜日

⑪お箏の弾き方ー荒城の月ー

お琴の弾き方の基礎のシリーズです

今まで、回を分けて
琴柱(ことじ)」のこと
」のこと
弦の呼び名」のことを書きました♪


箏(琴)は、13本の弦に琴柱をかけて立て、


     









琴柱を動かして調弦をして、
右手の親指、人差し指、中指の3本に爪をはめて弾く楽器です☆

箏(琴)は、13本の弦(糸)があるので、
13個の音で、まず弾くことができます

そして、その絃を半音上がった音で弾きたいとき
琴柱の左側を左手で軽く押します。

一音上がった音を出すときはもっと強めに抑えます(^_^)v


     

















これは、「押し手」というのですが、
この押し手をして音を上げ、
13本では足りない音を作りだして
三絃(三味線)との合奏に合った音も出すことができますし、

少し前に流行った「冬のソナタ」の様な曲も弾けるのです♪


「平調子」という基本の調子にふれてきましたので、
「平調子」で弾くことのできる
『荒城の月』の楽譜を下記にご紹介します。


「押し手」の表記は
「ヲ」がついている時には、半音高い音を出す印
「オ」がついている時には、一音高い音を出す印
として書かれています。



   『荒城の月』

十 十 為 巾 ヲ巾 巾 為  はるこうろうの  
 
斗 斗 十 オ九 十       はなのえん

十 十 為 巾 ヲ巾 巾 為  めぐるさかずき

斗 オ九 十 十七        かげさして

九 九 八 七 斗 斗 十   ちよのまつがえ

オ九 十 斗 斗十        わけいでし

十 十 為 巾 ヲ巾 巾 為  むかしのひかり

斗 オ九 十 十七        いまいずこ


実際に弾く場合には、
間に、休符が入ったりするのですが、
そのお話は、またの機会に。

2010年11月6日土曜日

⑩六段という曲について

お箏のお稽古を始めて、
指の練習のような小曲集からはじまり、
やっと、お箏らしい曲を習える・・
その始めの曲に「六段」があります。

今日はその六段についてのお話です。


第2回のコラムで、
芳しい 京菓子の「八つ橋」と共に、
八橋検校(やつはしけんぎょう)のお話と
代表作の「六段の調」についてふれました



そして
「糸竹初心集」や「糸竹大全」の中に掲載されている
「すががき」と「りんぜつ」とを
八橋検校が、発展させていき

「六段の調」や「乱輪舌(みだれりんぜつ)」などの段物を作ったのでは?
とされてきました。

そして、もうひとつ
八橋検校や前回コラムに登場した政島検校が参考にした、
「糸竹大全」「糸竹初心集」は、以前より、
中国の明楽や、
キリシタンとともに伝来したルネッサンス音楽の影響が指摘されていました

雑誌 邦楽ジャーナル10月号で  
箏演奏家の坪井光枝氏と
音楽学者皆川達夫氏
の研究した内容が掲載されておりました



それは、
九州の久留米にある善導寺に7歳の時に入門した賢順
(けんじゅん 1534~1623)という人がいます。
この、善導寺では管弦演奏の奏者育成がなされていて、
ここでの勉強のみならず、
様々な方から学び、自らも作曲して
「筑紫箏(つくしごと)」と人々に呼ばれるようになりました。

賢順の箏に心惹かれた 豊後国大名・大友義鎮(よししげ)は、
善導寺に要請して賢順を豊後入りさせました。
豊後は、キリスト教が定着しており、
流行歌さながらに子供達が歌うほど、キリスト教の音楽が浸透していました。

そして、それらの曲を箏で演奏したいと思い、
賢順が『六段の調』 『乱』 『八段』 を作曲したと考察されます。

1587年に豊臣秀吉によって発布された
キリシタン禁制令により、キリシタンは苦難を強いられておりましので、
作曲した上の3曲を秘曲として外部に出すことをしなかったが、
二人の弟子のうちの玄恕のもとを八橋検校が尋ね、
秘曲を伝授され、京に戻ったとされています。



「クレド」という、
グレゴリオ聖歌のメロディーに乗って歌われてきた信仰宣言があります。
そのクレドと『六段の調』が、
全体の寸法だけではなく、フレーズの区切れにも当てはまります。
そしてそのままでは、キリシタン音楽とわかるので
「平調子」を考察して、音階をかえてまで秘曲を演奏したかったのでは
という説。

一方
キリシタン音楽を禁制令只中の八橋検校が耳にするのは難しいのでは?
という観点、

いまではYoutube とかでも検索できるので
さっそく師匠と聴き比べましたが、、
私的には・・・???
どうも解釈に無理がある感じがしましたが、、
みなさんはどうかしら?

クレド で検索すると出てきます。

賢順の二人の弟子のうちの もう一人の法水が
江戸に出て琴糸商となり八橋検校と出会ったのが
筑紫箏と八橋検校との出会い、という説もあります。




六段の調べ&乱 輪舌
尺八・箏合奏
¥2,000

2010年11月1日月曜日

⑨ お箏が出来上がるまでのお話

今回は、箏ができるまでの話を書いていきます♪

先日、新しい箏(琴)を、いくつか見る機会に恵まれました(^^)


どれも美しい木目で、見ているだけでうっとりしておりました。
一面一面の木目の違い…
それは、箏の音の違いにもつながります♪♪

箏は、「桐」という、日本になじみの深い木から作られます。
「桐」は、飛鳥時代に中国からもたらされ、
以来、湿気の多いこの国では、
生活用具でもなくてはならない木材でした

また、「鳳凰が止まる木」、
「喜びをもたらす木」として、古くから大切にされてきました。

皇室の菊に次ぐ紋は、
桐紋なのはご存じのことと思います☆
たわわに咲く桐の花と、大きな葉を象った紋ですね。




そして、500円玉の裏にも模様が!


桐タンスが嫁入り道具…というのは、
桐の成長が速いので、20年程で大木になる。
庭に植えて、嫁に行くときに切ってタンスを作って持たす、という風習から(^o^)

湿気から守ってくれる優れた材質の桐は、
楽器にしてもその音色は素晴らしく、
アジアの楽器の多くで使われていて、
和楽器でも、琴だけではなく、
琵琶、笙にも用いられております♪


さて、箏の本体を作るには~
寒い荒れ地に育った、
樹齢20年以上、直径30㎝以上の木目のしまった木を切り出します
  ↓

数年乾燥させます
  ↓

表面に丸みをつけた大きめの箏の形に切り出します
  ↓      <桐屋の仕事>
  ↓

桐屋から、買い付けた箏材を
さらに1年ほど外に放置して乾燥とあく抜きをします
  ↓

カンナを箏の裏の部分からかけて、
船のような形にくり抜きます
  ↓

響きをよくする為に綾杉と呼ばれる模様を彫ります

  ↓     

裏板をつけます
  ↓

表面は焼きゴテで焼いた後、
鉄ブラシをかけて「との粉」で磨いて仕上げます
                   <琴屋の仕事>


ざっと書いたのですが、
こまかい部分を作る作業、飾りを施す作業をして完成するのです♪♪

桐が樹齢を重ねる中で、
気象条件の変化に会い、年輪が不揃いになると、
こうした円形の木目が幾つも現れた箏ができるのです(^o^)

それだけで音色が ひと味変わったりする

自然が作り上げた音色のすばらしさに
富士喜会のお仲間と触れられる幸せを感じつつ・・・

2010年10月25日月曜日

⑧ 『八千代獅』の続きのお話

番外編「八千代獅子」の演奏を
聴いていただきましてありがとうございます。

今回は、
「八千代獅子」のように、
「獅子」とついている曲のお話を書いてまいります。

「獅子」とタイトルについている曲は、他にも
吾妻獅子、越後獅子、御山獅子…といくつかあるのですが、
全て、「獅子舞」を器楽であらわそうとした曲とされています。


「獅子舞」そのものの音、というよりは
洗練されたメロディーになっていたり、
三絃(三味線)の技をたっぷり聞かせる中に、
獅子舞の感じを織り込んだ…とい
うような曲が多いです♪

「獅子舞」というと、
お祭りやお正月に見る機会があることと思います。

獅子は、五穀豊穣の祈り、悪魔払い、雨乞いなどに用いられ、
民族芸能として、祭礼囃子と共に地域住民に支えられて
室町時代から流行・発展していきました(^^)

この秋にも、
幾つかの神社の祭礼囃子と獅子舞を見る機会に恵まれました(*^_^*)
このお祭りの獅子舞に、
次女の頭を噛んでもらってきました(^_^)



獅子舞は特に、「風流(ふりゅう)系」の芸能と呼ばれ、
華やかな趣向が特徴といわれるだけあって、
遠くからでも、目をひきますね。


さて、
「獅子」がタイトルについている曲は、

いずれも、
1664年刊行の「糸竹初心集」と
1687年以前の刊行の「糸竹大全」という中の
獅子踊曲からヒントを得て作られたものなのです。

いまで言う、流行歌集のようなものでしょうか♪


「八千代獅子」は、
「朝顔獅子」という尺八曲を
大阪で 胡弓政島流を創めた政島検校が胡弓で弾き、
その胡弓の曲を藤永検校が三絃化して出来ました♪

藤永検校は政島検校の師でしたので、
三絃曲として世に出る機会となったのでしょう。

作曲された年は不詳ですが、
藤永検校は、1757年に検校(けんぎょう)として登官しておりますので
今から約200年前に作られた曲です☆

2010年10月21日木曜日

富士喜会の八千代獅子演奏



今日は番外編です。

元々「朝顔獅子」という尺八の曲だったのを
政島検校が胡弓にうつし、
寛保年間に活躍した藤永検校が三絃にうつしたことにより
広まったとされる曲です。
その­後、「八千代獅子」に替えられました。
曲の題名が示すように「八千代」を祝う獅子舞の曲を表しております。
今回は 鼓を入れて、尺八、三絃(本手・替手)の合奏です。

富士喜会の合奏をお聞きください
2010年6月6日、いつみホールにて
 

2010年10月11日月曜日

⑦お箏の絃のお話

 お琴の弦(糸)のお話です。
お琴は、桐でできた楽器本体に糸をかけて使います。
そしてその糸は、本来、
絹糸を撚り合わせたものなのです♪















↑竜尾の糸巻き
絃(胃とが一本だけ切れたり、
全部張り直して替えるときに、
天地替えといって、この部分をまずは使います
次の張替えの時は、
全部取り替えます。

本来の絹の糸の場合
爪に当てた感触、音色も素晴らしく、琴柱も倒れにくいのですが、

一週間もすると音色が悪くなっていまうし、
温度変化に大変敏感なので切れやすくなってしまうのです


近年は、
よい音色が出るように、と工夫されたナイロンやテトロンなどの
合成繊維のものが普及しています。

演奏会のみにと、絹の音色を求めてかける方も
まだまだいらっしゃるとのこと。

三絃(三味線)では、常日頃、絹糸の弦で弾いておりますが、
何回か弾いているうちに音色が大層悪くなり切れやすく
消耗しやすいです。






さて
本来の琴糸の素材である絹の琴糸は
実は、昔も今も、ほとんどが琵琶湖周辺で生産されているのです!
(三味線糸もです)
















なかでも、
滋賀県伊香郡木之本町大音→通称「大音糸」が
最も歴史あるものとされています。

大音糸は、
滋賀県伊香郡の祖神である、伊香津臣命(いかつのみこと)の
16代目伊香厚行(いかごのあつゆき)が始めたと伝えられます☆

菅原道真と同時代のこの方。
任ぜられて、京都にて神社行政に当たっていました。


伊香具神社の境内にある
池の清水を引いて繭を煮て糸を造ると大変上質な糸ができたのです♪

これを京都に持っていき、
(ご献上したりも)
装束の紐や楽器糸を作り、全国に広まったとのこと。


そして、
今でも、撚り上げる強さ、糊で煮込む時間の長さは、
秘伝とされていて、

琵琶湖周辺のいくつかある糸のメーカー毎に違いがあるようです☆

日本の楽器の素材は、
木・竹・絹に集中しています。
竹を輪切りにすると、
繊維が穴になって見えます。
そこに音が響きます。
絹の絃は、繊細な繊維を撚り合わせることで
やはりそこに音が響き、
音に深みが出ます。

自然との「和」から生まれる音だからこそ
こんなに癒されるのでしょうか。

しかし、その伝統の技術を守り維持する技人が
減ってきてるのも残念な現実です。
需要もへっていますしね。

このコラムが少しでも
興味を持っていらっしゃる方の一助に
なれたらと思います。

2010年9月29日水曜日

⑥ お箏の形の話 

箏(琴)の形は
緩くアーチを描いていて美しい形をしております




この箏という楽器、
龍に見立てられておりまして
各部の名称も、
左の方から

竜頭、 竜角、 竜甲、 
側面は 磯  
そして右のはじが 竜尾
この様につけられております



日本に箏がもたらされたのは
奈良時代のこと。

その時には既に
「龍の象徴」として
日本にもたらされておりますので

日本に渡って来る以前
中国で、箏が「龍」に見立てられた
楽器だったのです

中国にとって「龍」とは皇帝を表す生き物
高貴で万能で、美しい。

箏は、
それだけ高貴な楽器だったということ。

素晴らしい音色が出る楽器で
神に近い物 とされていたのです

「龍笛」という楽器も、同じ理由から。
龍笛は形は似てませんけれど


箏は
琴柱を立てると龍の背中にも見えてきます♪

    箏柱(kotoji)

2010年9月22日水曜日

⑤お箏の爪のお話ー生田流ー

第2回のお話で触れました八橋検校の後、
箏(琴)だけで奏でていたものを、
生田検校が生まれ、三絃(三味線)と合奏する事が
始められます♪
すると、
三絃の奏法に合わす為に、
箏でも,
スクイ(弦を爪で引っ掛ける様にすくって音を出す)
などの技巧が必要になってきました☆

もともと箏(琴)は、
雅楽で使われている楽箏を
用いていたのが始まりですので
爪も雅楽で使われていたものと同じ、
竹を細く切り出した物を、
指にはめる為の輪を付けて使っていました
(右手の親指、人差し指、中指に爪をして奏でます)



ところが、
箏で複雑な奏法をするのに、
今までの爪では難しくなって来ました
そこで、生田検校の時から、
四角い爪が登場します


そして、
三絃と箏がどんどん合奏する様になりました♪♪
四角い爪の角を、弦に当てる様に
座り方も斜めにするよう工夫されました

生田流の他にも、
山田検校が始めました
山田流というのがございます

大きな違いとして
皆様ご存知なのは
爪の形だと思います。
右が生田流の爪、左が山田流の爪です


上の爪の部分に、↓写真の様な爪の輪をつけて使います


この爪の輪は、一つ一つ手作業で作るので
サイズも微妙に違います
自分の指にはめてみながら
ぴったりと具合のよいサイズの輪に
爪を入れ、糊をつけて、
棒を入れて押さえて固定させます。


輪は,和紙と革で作られており
最後にエナメルを塗って、
仕上げてあるのもあります。

革は、
三絃の皮を張った余りで作っているとのこと

爪の厚さも色々あって、何セットも爪を所有していて
その時、弾く琴によって音を出してみて使い分けます
コロコロと、キラキラと・・・
爪と琴の相性によって音色がちがうのですから。
デリケートですね。

2010年9月12日日曜日

④お箏の曲のお話ー秋の言の葉ー

箏曲『秋の言葉』をご紹介いたします♪
「あきのことのは」と読みます…


明治時代に作られました♪

「秋」と名がついた曲の中で
名曲とされています
虫の声を想像しながら
歌詞を堪能していただけると嬉しいです~


『秋の言葉』 

西山徳茂都(にしやまとくもいち)作曲


♪散りそむる 桐の一葉におのづから

袂涼しく朝夕は 野辺の千草におく露の

つゆの情(なさけ)を

身にしるや

たれ松虫の音をたてて、

いとどやさしき鈴虫の、

声にひかれて もののふが

歩(あゆ)ます 駒のくつわ虫

哀れはおなじ 片里の

いぶせき賤が伏家にも

つづれさせてふ きりぎりす


機織る虫の声々に 

合す拍子の遠砧

面白や 暮れゆくままの大空に

くまなき月の影清き

今宵ぞ秋の最中(もなか)とは

いにしへ人の言の葉を

今につたへて

敷島の 道の しをり と 残しける



桐の葉が落ちて秋が来たことを知りました…
から歌詞が始まり
松虫、鈴虫、くつわ虫、きりぎりす
と、よく知る虫の名前が登場いたします♪


平家物語の小督の局を訪ねた
仲国が嵯峨野の虫の声に
ひかれた想い
を背景に歌詞が連ねてあるともいわれております。
遠砧…「遠くに聞こえる砧の音」

とあります☆

砧とは洗濯を川沿いでする時に、

布を木や石の上で槌で叩く時の音のことで

箏では「チンリンチンリン」を繰り返して伴奏するのです


この曲は箏と箏で合奏するのですが、
チンリンチンリン…と砧を表す伴奏と
虫の音を表現するメロディ-とを和していて
秋の情景を感じます~


歌詞の最後は

「今宵ぞ秋の最中」

→「水の面に 照る月なみを 数ふれば

今宵ぞ 秋の最中なりける」 

という

源順(みなもとのしたごう)の歌にふれ、

「この歌を現在に至るまで伝えて

和歌の道の案内、手引きとして残しているのであるよ」

で結んでいます。

この歌は~
皆様おなじみの和菓子の名前の由来となった歌ですo(^-^)o











江戸時代、
月の宴に出た白くて丸い餅菓子を食べている時に
この和歌が話題となり
「最中」となりました(*^_^*)


2010年9月7日火曜日

③箏の絃の話ーさくらー

今回は、箏ののお話です♪


箏の弦は13本張ってあり、
弾く人の向こう側から
手前にそれぞれ

一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、

斗(と)、為(い)、巾(きん)

と呼びます。


雅楽で使われている箏と

同じものを使っておりますので

当初は雅楽の楽箏と同じ様に

仁(じん)、知(ち)、礼(れい)、義(ぎ)、

信(しん)、文(ぶん)、武(ぶ)、

翡(ひ)、蘭(らん)、商(しょう)、

斗(と)、為(い)、巾(きん)

と呼んでいたとのこと。


現在の斗、為、巾と弦を呼ぶのは

その名残なのです☆


また、古くは箏自身のことを

「仁智(じんち)」と呼んでいたこともあり、

平安末期の藤原師長(ふじわらもろなが 1138~1192)は

『仁智要録』という箏の

楽譜集を編纂しています。


例えば…
第2回のコラムで触れました

「平調子」という調子に
調弦いたしまして~
皆さまのお馴染みの
『さくら』を楽譜を見ながら弾く時には、

七七八 七七八
さくら  さくら

七八九八 七八七六
のやまも  さと-も

五四五六 五五四三
みわたす  かぎ-り

七八九八 七八七六
かすみか  くも-か

五四五六 五五四三
あさひに  にお-う

七七八 七七八
さくら  さくら

五六八七六五
はなざ-かり

と楽譜に書かれているのです。

この歌詞、↑は、

江戸時代からあった古謡の方の歌詞です☆


明治21年に、箏曲として、編詞・編曲されて、
こちらの歌詞になりました

さくら さくら

やよいの空は

見渡すかぎり

霞か雲か

匂いぞ出ずる

いざや いざや

見にゆかん


平調子は陰音階が特徴なのですが、
皆さまがご存知の曲で
それがよく表れている曲だなぁ…
と感じるのは

土井晩翠 作詞

滝廉太郎 作曲

『荒城の月』

♪春高楼の花の宴~
(はるこうろうの はなのえん~)

哀愁ただよう歌詞と
短調の曲が 胸に響きます……



 

2010年8月31日火曜日

②お箏(琴)のお話 ー2-

私は富士喜会に所属して(生田流)
九州系地歌、古典の曲を中心にお勉強していきます。
(新曲というのは、近年できた現代曲のような
ドレミファに調弦して演奏されるような
そういう曲です
そういうのはほとんど演奏しません)


琴(箏)をかたどった…八ッ橋

八ッ橋は焼いてある、
固い方の八ッ橋のことです
























邦楽にとって、
大変革をもたらせた
「八橋検校」にちなんで作られたお菓子です。

ご存知の方もいらっしゃると思います

「検校(けんぎょう)」は
江戸時代に作られた
盲目の人の位の中の一つです。

地唄や箏曲、琵琶、鍼灸等を
仕事にしていた人達に与えられたものなのです。
他に勾当という位もあります。


○○検校や○○勾当と言った
作曲者達の手により、
江戸時代、箏の曲と「地唄」という、
三絃(三味線)を弾いて歌う曲が作られて行きました


八橋検校の代表作と言えば、
現在でも人気の高い「六段の調」です。


箏で弾く曲は、
「平調子」という調子がベースになります
 この「平調子」を作ったのが八橋検校です。
平調子を
まずお箏(琴)で調弦し、
その後、弦をかけてある琴柱を動かして、
中空調子や雲井調子etc.
といったものに調子を変えて様々な曲を弾くのです☆

古典として伝承されている曲の中で、
琴の良さを活かし、作曲の工夫がされ
発展した琴だけの曲もありますが

初めは別ジャンルだった箏と三絃が
合奏曲として多数、残っているものあります。

邦楽三曲といわれるものは、
尺八、琴、三絃の合奏のことです
三絃がリード、琴がリズム、
尺八がそれを紡ぐように・・・
と、教わりました。


江戸時代には現代と同じ様に流行歌があり、
それをまとめた「糸竹大全」という本もありました。
                しちくたいぜん

歌舞伎の中、お能のお題目(道成寺、融・・・など)
人気の演目から,引用しているのか
お琴の曲で、同じお題の曲も多々見つけます

タイムマシンがあったら、その曲ができた
瞬間を~みてみたいな~と
いつも思います。

2010年8月23日月曜日

①お箏(琴)のお話♪

これからこちらにお箏(琴)についての
コラムを載せて行こうと思います。

私たちの母くらいの世代では
お琴、持っていました。なんてこともよく耳にしましたが
この頃では本物を目にすることも珍しくなっていますね。

これが、お箏(琴)です↓

少し背に円みを帯びていて、
長いこの楽器は龍に見立てられています。

龍の背中の様に見える所にある
白い物は、「琴柱(ことじ)」というもので、
これに弦をかけて使う楽器なのです☆

琴柱の位置を変えて調弦すれば、
どんな曲も自由に弾けるのです

琴柱です↓

「琴柱ってお琴から外れるの〜!」って
初めて見る子供たちは驚きます…

以前、
岡野玲子の「陰陽師」が
ブームになったことがありました。

その中で
「楽の申し子 源博雅」が、

琴柱にちょうどいい楓の枝だぁ〜って
ウットリしていた場面がありました 。  

昔は楓の枝分かれした部分に
手を加えて琴柱を作っていたのですね。

現在は、
一般的には象牙に似せた
プラスチック製が主です。

普通のプラスチックより少し重みがある感じ。

昭和30年位にはまだ、
木の琴柱は使われていた様ですが、
より音が響く物へと代わって行きました。

雅楽で使用の箏には
現在でも、
木を使った琴柱を見た事がありますが、
楓ではなく、
「紫檀(したん)」を使って作られているとの事です☆


次回のお箏(琴)コラムもお楽しみに!