今回は、演奏会等でよく見受けられる、
琴、三味線、尺八の合奏についてです。
江戸時代より行われてきました、
三味線による座敷音楽と、家庭音楽を「地歌」といいます。
そして、八橋検校(1614~1685)から始まった、近世箏曲があります。
初め、「地歌」と「箏曲」は、
全然 別のジャンルとして それぞれ発展していきました。
生田検校(1656~1715)がきっかけで
「地歌」と「箏曲」の交流が始まりました。
初めのうちは、
三絃(三味線)のメロディーと
全く同じものを 箏(琴)が弾いていました。
その後、
三絃が先に作曲されたのを受けて、
より合奏が趣きある様に…と、
合奏用に箏の手が作られていきました。
江戸中期になりますと、そこに胡弓が加わりまして、
箏・三絃・胡弓による合奏が行われる様になりました♪
戦国時代が終わり、
急増した浪人たちが「普化(ふけ)宗」を立てて、
尺八を演奏し、托鉢をして生活いました。
明治4年に普化宗が廃止されると、
職を失った虚無僧(こむそう)たちは、
尺八奏者として一気に広がりました。
そして、胡弓が弾いていたメロディーを、
尺八が演奏するようになり、
箏・三絃・尺八による合奏もみられるようになったのです。
一気に尺八奏者が広がった為でしょうか、
胡弓よりも尺八が普及しやすかったのでしょうか、
箏・三絃・尺八による合奏の形の方が現在、
多く見受けられるようになりました。
箏・三絃・胡弓による合奏、
箏・三絃・尺八による合奏のどちらも
「三曲合奏」というのですが、
洋楽の三重奏とは違って、
三曲合奏では、三つの楽器の音色の融合の美しさが問われます☆