今回は、特殊な合奏の方法のお話です。
「打ち合わせ」と言われる、この合奏形態は、洋楽にはありません。
邦楽の面白さ、として紹介される合奏形態をご紹介します。
異なる曲同士を一緒に演奏する合奏方法を
「打ち合わせ」といいますが。
富士喜会でよく演奏される曲が
「れん木 すり鉢」 です。
「れん木」という曲と、
「すり鉢」という別の曲を同時に弾くのです。
全曲まるまる別の曲と合わせる場合は、
拍数を同じにしてあるので
同時に弾くことが出来るのです。
曲の一部分だけを合わせる場合もあるのですが、
どちらの場合も、
後から作曲した方が、
元々ある曲との合奏を考慮して作ってあるのです♪
初めから終わりまで合奏出来る例として、
『菜蕗』(fuki)(八橋検校) と
『夕べの雲』(光崎検校または菊岡検校) の合奏♪
先程紹介いたしました
『れん木』(不詳)と
『すり鉢』(油屋茂作)と
『せっかい』(不詳)
の合奏などがあります♪
また、一部分が合奏可能という例は大変な数がございます☆
◆『磯千鳥』(菊岡検校)の*チラシという部分と
『萩の露』(幾山検校)の*チラシ部分
◆『新浮舟』(松浦検校)の*チラシ
『若菜』(松浦検校)の*チラシ
などなどです(^^)
『新浮舟』と『若菜』の合奏の様に
作曲者が同じ、というのは有り得る話かな、
と思うのですが、
全く違う作曲者の方が、
こっそり合奏出来る様に作った、というのが興味深いですね(^0^)/
さて、
『れん木』『すり鉢』の2曲を同時に弾く打ち合わせですが、
『れん木』『すり鉢』『せっかい』
の三曲を同時に合奏をするのも
多くのところで見受けます♪
「れん木」と「すり鉢」とは、
ご存じの様に、
料理に使います、「すり鉢」と
擦る為に使用します棒→「れん木」です
「せっかい」とは、
「切匙」や「狭匙」と書きまして、
「すり鉢」の溝の中を掻き出す為の道具です。
歌詞も、三曲全てを眺めますと、
「れん木」と「すり鉢」と「せっかい」は
切っても切れない仲ですのに、
バラバラにするなんて…
と歌い、離された恨み言の恋心も匂わせています。
参考までに歌詞を書きました♪
『すり鉢』
海山を 越えて この世に住みなれて
比翼連理と契りし仲を
煙を立つる賎の女が
心ごころに逢はぬ日も
逢ふ日も夜は独り寝の
暮れを惜しみて 待つ山かづら
昼のみ暮らす 里もがな
『れん木』
奥山に あまた切り出すその中に
比翼れん木といい馴れ染めて
煙の種と小原女が 心づくしに送る日の
重荷も何の厭ふまじ
君を頭に戴きつれて
足鳴ら摺りこ木 八瀬の里
『せっかい』
御山路の 杉のきれはし里へ出で
日頃れん木と睦みし仲を 見損なったぞ私でも
大納言に鶯と 名と憂き恋に言われても
身をすり鉢 谷間に住まひ
広いや世界 狭うなき
※比翼連理とは
「比翼の鳥」、「連理の枝」この二つを略して四文字熟語としたものです。
「比翼の鳥」とは、雌雄が一体とされる想像上の鳥のこと。
息を合わせないと飛べません。
「連理の枝」とは、別々に生えた二本の木が結合して、
一本の枝となっているものです
夫婦仲の良いことのたとえや、男女の深い契りを表す時に使います。
…三曲ともに歌詞がある ものを同時に演奏って、どうするの??
と疑問に思われた方もいらっしゃるのでは?
本来は、
歌も同時に歌い、合奏するとのこと。
どうにも聞く方も混乱してしまい、
三曲の中の一曲の歌詞で歌い
合奏する演奏形態をとる場合が多い様です。
いずれにしても、
この「打ち合わせ」という合奏方法は、
作曲者の遊び心を感じます~(^0^)/
参考
「*チラシ」について、
さらにまたお話していくと定義が
長々してきますので、もっとご興味のある方は
「手事」について~下記をご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E4%BA%8B%E7%89%A9
2011年2月25日金曜日
2011年2月20日日曜日
21 三絃の楽譜について
今回は、
そんな三絃(三味線)の楽譜の事を
歴史を辿りながら書いてまいります☆
邦楽に限らず、
様々な音楽のジャンルに楽譜は存在しています♪
音楽の中で重要と思われる様相を
視覚的な記号に定着させる方法を
「記譜法」といいます。
古来から、様々な国で、
音楽の伝承手段として考えられて来ました。
その結果として記されたのが楽譜です☆
他の国に比べて、
日本音楽にとっての楽譜は、
「補助手段」という役割でした。
日本音楽は、
「口頭伝承」という方法を優先的に用いるのが特徴です。
口頭伝承といっても、
耳と口だけではなく、
視覚による観察、
触覚による記憶など、
五感をフルに使って伝承されてきました。
さて、
三絃(三味線)の楽譜は、
江戸時代に三味線が一気に普及いたしますと、
江戸時代を通して様々に工夫されていきました。
最も多い形は、
棹上の勘所(ツボ)を示す形式でした。
この、楽器の奏法を文字・数字・記号で表す方法を
「奏法譜(タブラチュア)」と いいます☆
ギターもこの方法ですね(^^)
我が国の伝統音楽の楽譜の大部分は、
この奏法譜で書かれています。
江戸時代初期の楽譜として
『糸竹初心集』(1664年)や
『大ぬさ』(1687年以前)では、
まだ使用する勘所も少ないので
簡単な口三味線譜でした。
口三味線は「唱歌(しょうが)」ともいうのですが、
擬声的に旋律を唱えるものなのですが、
現在でも、
楽譜に添えられますし、
稽古の際に弾き方が理解しやすくなります。
小さくカタカナで書いてあるのが
口三味線の部分です
バチで普通に弾く場合は、
チ・ツ・テ・ト とタ行音で書かれます
勘所をどこも押さえずに弾く開放弦の場合は、
トン(一の糸、二の糸)
テン(三の糸)
…といった決まりがあります。
実際、弾いておりますと
その様に聞こえてきます。
楽譜が発展してきましたのは、
明治期以後のこと。
音響学者の田中正平が、
1899年にドイツから帰国後に邦楽研究所を創立して
五線譜で三味線の楽譜を作る事を試みました。
↓
↓
田中正平の門弟の吉住小十郎は
算用数字を用いた縦書き譜を考案しました。
↓
↓
四世 杵家弥七が
この数字譜に洋楽の拍子の切り方を応用して
三味線糸を表す三本の線上に数字で勘所を表す
「三味線文化譜」を考案しました。
→現在の、長唄・浄瑠璃・端唄・小唄・民謡がこの形式です。
私たちの勉強している「地歌」の場合、
「家庭式」と呼ばれる形式で、
三種の数字を用いて、
開放弦と勘所(ツボ)を表しています☆
手前の一番太い 一の糸は
イ一、イ五、イ八…の様に「イ」+「日本数字」
真ん中の 二の糸は
一、五、八…の様に「日本数字」のみ
一番細い 三の糸は
1、5、8…の様に「算用数字」
でそれぞれ表しております♪
(オクターブ高い音は・が、
2オクターブ高い音は・・が数字の横に付いています)
例えば、「さくら さくら」を弾く時には
557 557
さくら さくら
とツボを表す数字が書かれるのです♪♪
三絃の楽譜を初めて目にすると
まるで暗号のように見える方がほとんどですので、
これを見慣れて、
その楽譜の示す位置(つぼ)に
指が行くことが
まずは三絃のお稽古の「事始め」になります。
楽譜のおかげで
曲全体をざっと頭に入れるのには
時間をかけずに済むようになりましたが、
それでも、口頭伝承が基本の古典。
音階の規則に沿った微妙な音の具合や、
その他微妙なニュアンスは、
楽譜で表現しきれません。
師匠の演奏から習ったり、
尺八との緩急などを打ち合わせたり、
それこそ、五感をフルに使って、
時には自分なりに書き込んだりします。
そして楽譜の行間から
曲が教えてくれることを感じ取り
表現していくことが大切で
やはり楽譜は補助手段として
使うものなのでしょう。
そんな三絃(三味線)の楽譜の事を
歴史を辿りながら書いてまいります☆
邦楽に限らず、
様々な音楽のジャンルに楽譜は存在しています♪
音楽の中で重要と思われる様相を
視覚的な記号に定着させる方法を
「記譜法」といいます。
古来から、様々な国で、
音楽の伝承手段として考えられて来ました。
その結果として記されたのが楽譜です☆
他の国に比べて、
日本音楽にとっての楽譜は、
「補助手段」という役割でした。
日本音楽は、
「口頭伝承」という方法を優先的に用いるのが特徴です。
口頭伝承といっても、
耳と口だけではなく、
視覚による観察、
触覚による記憶など、
五感をフルに使って伝承されてきました。
さて、
三絃(三味線)の楽譜は、
江戸時代に三味線が一気に普及いたしますと、
江戸時代を通して様々に工夫されていきました。
最も多い形は、
棹上の勘所(ツボ)を示す形式でした。
この、楽器の奏法を文字・数字・記号で表す方法を
「奏法譜(タブラチュア)」と いいます☆
ギターもこの方法ですね(^^)
我が国の伝統音楽の楽譜の大部分は、
この奏法譜で書かれています。
江戸時代初期の楽譜として
『糸竹初心集』(1664年)や
『大ぬさ』(1687年以前)では、
まだ使用する勘所も少ないので
簡単な口三味線譜でした。
口三味線は「唱歌(しょうが)」ともいうのですが、
擬声的に旋律を唱えるものなのですが、
現在でも、
楽譜に添えられますし、
稽古の際に弾き方が理解しやすくなります。
小さくカタカナで書いてあるのが
口三味線の部分です
バチで普通に弾く場合は、
チ・ツ・テ・ト とタ行音で書かれます
勘所をどこも押さえずに弾く開放弦の場合は、
トン(一の糸、二の糸)
テン(三の糸)
…といった決まりがあります。
実際、弾いておりますと
その様に聞こえてきます。
楽譜が発展してきましたのは、
明治期以後のこと。
音響学者の田中正平が、
1899年にドイツから帰国後に邦楽研究所を創立して
五線譜で三味線の楽譜を作る事を試みました。
↓
↓
田中正平の門弟の吉住小十郎は
算用数字を用いた縦書き譜を考案しました。
↓
↓
四世 杵家弥七が
この数字譜に洋楽の拍子の切り方を応用して
三味線糸を表す三本の線上に数字で勘所を表す
「三味線文化譜」を考案しました。
→現在の、長唄・浄瑠璃・端唄・小唄・民謡がこの形式です。
「家庭式」と呼ばれる形式で、
三種の数字を用いて、
開放弦と勘所(ツボ)を表しています☆
手前の一番太い 一の糸は
イ一、イ五、イ八…の様に「イ」+「日本数字」
真ん中の 二の糸は
一、五、八…の様に「日本数字」のみ
一番細い 三の糸は
1、5、8…の様に「算用数字」
でそれぞれ表しております♪
(オクターブ高い音は・が、
2オクターブ高い音は・・が数字の横に付いています)
例えば、「さくら さくら」を弾く時には
557 557
さくら さくら
とツボを表す数字が書かれるのです♪♪
三絃の楽譜を初めて目にすると
まるで暗号のように見える方がほとんどですので、
これを見慣れて、
その楽譜の示す位置(つぼ)に
指が行くことが
まずは三絃のお稽古の「事始め」になります。
楽譜のおかげで
曲全体をざっと頭に入れるのには
時間をかけずに済むようになりましたが、
それでも、口頭伝承が基本の古典。
音階の規則に沿った微妙な音の具合や、
その他微妙なニュアンスは、
楽譜で表現しきれません。
師匠の演奏から習ったり、
尺八との緩急などを打ち合わせたり、
それこそ、五感をフルに使って、
時には自分なりに書き込んだりします。
そして楽譜の行間から
曲が教えてくれることを感じ取り
表現していくことが大切で
やはり楽譜は補助手段として
使うものなのでしょう。
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