邦楽♪豊学のこのコラムも19回目となりました。
10月25日番外編⑦⑧で載せました
三絃(三味線)と尺八、鼓による
富士喜会の演奏『八千代獅子』を
お聞きになった方もいらっしゃると思いますが、
その三絃のお話を、
今回から、
楽器の伝来や構造、弾き方などなどを
曲の紹介を交えつつ進めていきたいと思います。
三絃と箏は、別々のジャンルだったのですが、
1688年頃から交流し始めまして、
もともと三絃の曲だった物に、
合奏できる様に箏の手が作られていきました♪
箏は、奈良時代には中国(唐)から伝来しておりましたが、
三絃(三味線)が伝来したのは
かなり後になります☆
中国には「元」の時代より
「三弦(サンシュン)」という楽器が存在していました♪ ↓
14世紀末、
琉球に伝来します。
現在でも沖縄で使用されている「サンシン」と呼ばれている物で、
「サンシン」は、中国から伝来してから
形状は ほぼ一緒のまま
今でも使われています♪
↓
1558~1569年に大阪の堺港に入り、
本土に三味線が伝わりました☆
(初めて見た方達は驚いたことでしょう(^O^))
本土に入って来た時には、
蛇の皮が胴を包む様に張られており、
胴も丸いものでした。
本土に入り、
胴が四角になり、大きくなったので
蛇皮ではなく、犬や猫の皮を
木の枠の表と裏に張る様になりました♪♪
(本土では蛇を捕るのが難しい、という説もあります)
呼び名も「サミセン」「シャミセン」となりました♪
胴の写真を見ていただきたいのですが、
弦は絹糸で
太さの違う3本の糸をかけます。
右側にあります、
小さく細長い物は、
「駒」と言いまして、
箏でいう琴柱(ことじ)の役割をしています
さて、三味線を最初に手にしたのは
「琵琶法師」でしたので、
琵琶の時に用いられる形に似た撥で弾かれる様になりました。
中国でも、琉球でも、撥ではなく、
義爪(ぎそう)か指頭で演奏していました。
初めに手にしたのが、
琵琶法師だった、というのは
偶然?なのでしょうけれど、
もし、琵琶法師が手にしなかったら…と想像は膨らみます(^_^)
写真は、現在、私が使っております地歌用の撥です。
三味線は、本土に伝わってから、
あっという間に広がり、
様々な細かいジャンルが生まれ、
撥の形もジャンルにより変化しました。
三味線は、他の弦楽器と同じ様に、
糸巻きの部分で調弦して
長い木の部分の「棹」(ギターやチェロなどでは「ネック」)
の部分のツボを指で押さえながら
撥で弾いて音を出すのです。