22の投稿で打ち合わせという演奏について書きましたが、
最近、富士喜会で頻繁に稽古しております
鳥追神楽についてご紹介したいと思います。
「鳥追 神楽」は、
「鳥追」と「神楽」という
2つの三絃の曲を
同時に弾いて合奏いたします。
※「神楽」は、京都の津山検校(生没不詳 1755登官)が作り
(「津山撥」を考案した津山検校とは別の人です。)
※「鳥追」は、松浦検校(?~1822、1798登官)が後から「神楽」に合わせて
作りました。
「神楽」が先に作られていたようです。
それぞれの曲について御紹介します
まず、
「神楽」は、
国土安穏を祈り、
神楽が行われる 賀茂の社の繁栄を謡った
「室君」という能で謡われる曲の歌詞を
途中から最後までを使っています。
そして
兵庫県室津の
賀茂神社の小五月祭で謡う
「棹の歌」の歌詞そのものを
「神楽」の歌詞としているようです。
室津 小五月祭 棹の歌
<日々遥かさんのブログからお借りしています。
快諾していただきました。小五月祭の動画もあります。>
比叡山の高僧が
「生きた菩薩を見たければ室津の遊女を見よ」
と夢のお告げがあった、と描き
神職の命により、遊女たちが集められる様子や
棹の歌を歌う様を描いています。
<古では、遊女は巫女の役割を担っていました。>
「鳥追」について
松浦検校作曲「鳥追」では、謡曲「鳥追舟」より、
毎日の鳥追いの仕事の辛さと、
妻の嘆きの部分が歌詞として書かれております(^^)
その「鳥追舟」ですが、
室町時代に謡曲師、金剛弥五郎によって書かれました。
それは
鹿児島県の向田という所に伝えられる話
(日暮長者伝説)が
もとになっているようです。
昔のこと、
向田の川内の日暮という所に
ある長者が住んでいました。
家には、
「北御方」と「花若」という先妻の子供と
継母の「お熊」と共に暮らしていました。
長者が公務のため、家を長く留守にしていると
お熊は、子供たちを酷使し、
舟に乗って水田の鳥を追う仕事もさせていました。
姉弟は、この辛い仕事の合間に
宮里に住む実の母、柳御前とひそかに会うのを
楽しみにしていました。
それでも、あまりの辛さに姉弟は
平佐川に身を投げて 死んでしまいます。
そこへ長く家を留守にしていた
実の父が帰って来て嘆き哀しむのでした。
能楽で、地方の物語を題材にしたものは
珍しいとのこと。
向田地区には、日暮長者伝説の姉弟を祀る
鳥追の杜があり、社には今も能楽関係者が
人知れず訪れ参るといいます☆
(謡曲の「鳥追舟」は、伝説とは異なり、
ハッピーエンドで終わっています)
松浦検校作曲「鳥追」では、
伝説通り
毎日の鳥追いの仕事の辛さと、
妻の嘆きの部分が歌詞として書かれております。
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さてこの2曲の打ち合わせですが
尺八も
「鳥追」の三絃&尺八と
「神楽」の三絃&尺八
で、分かれて座りまして 同時に演奏いたします。
三絃の調子は、「鳥追」と「神楽」の両方とも
「二上り」という調子で別々に別な歌詞で唄います。
「つづみ」と歌う部分で、
三絃(三味線)の棹を
指で打つ奏法になっていたり、
音の並び、
歌詞の入る場所、
唄の伸ばした母音も同じにしていたり、
この、「神楽」と
打ち合わせ出来る様に意識して作られたことを
演奏していて実感できます。
とはいえ、
全く違う歌詞ですし
合奏する時は、
相手を聴きながら
音の強弱、陰陽の音程具合の微調整が必要です。
それがうまい具合にいくと
時々一致したり、ハーモニーになっていたりする
節の面白み、曲の遊びを
楽しめるかと・・・・
三絃を学ぶ歓びを感じられる曲と
お仲間に感謝しております。