2011年2月20日日曜日

21 三絃の楽譜について

今回は、
そんな三絃(三味線)の楽譜の事を
歴史を辿りながら書いてまいります☆


邦楽に限らず、
様々な音楽のジャンルに楽譜は存在しています♪

音楽の中で重要と思われる様相を
視覚的な記号に定着させる方法を
「記譜法」といいます。

古来から、様々な国で、
音楽の伝承手段として考えられて来ました。
その結果として記されたのが楽譜です☆

他の国に比べて、
日本音楽にとっての楽譜は、
「補助手段」という役割でした。

日本音楽は、
「口頭伝承」という方法を優先的に用いるのが特徴です。

口頭伝承といっても、
耳と口だけではなく、
視覚による観察、
触覚による記憶など、
五感をフルに使って伝承されてきました。


さて、
三絃(三味線)の楽譜は、
江戸時代に三味線が一気に普及いたしますと、
江戸時代を通して様々に工夫されていきました。

最も多い形は、
棹上の勘所(ツボ)を示す形式でした。

この、楽器の奏法を文字・数字・記号で表す方法を
「奏法譜(タブラチュア)」と いいます☆

ギターもこの方法ですね(^^)
我が国の伝統音楽の楽譜の大部分は、
この奏法譜で書かれています。

江戸時代初期の楽譜として
糸竹初心集』(1664年)や
『大ぬさ』(1687年以前)では、
まだ使用する勘所も少ないので
簡単な口三味線譜でした。

口三味線は「唱歌(しょうが)」ともいうのですが、
擬声的に旋律を唱えるものなのですが、
現在でも、
楽譜に添えられますし、
稽古の際に弾き方が理解しやすくなります。


    小さくカタカナで書いてあるのが
口三味線の部分です

バチで普通に弾く場合は、
チ・ツ・テ・ト とタ行音で書かれます
勘所をどこも押さえずに弾く開放弦の場合は、
トン(一の糸、二の糸)
テン(三の糸)

…といった決まりがあります。
実際、弾いておりますと
その様に聞こえてきます。


楽譜が発展してきましたのは、
明治期以後のこと。
音響学者の田中正平が、
1899年にドイツから帰国後に邦楽研究所を創立して
五線譜で三味線の楽譜を作る事を試みました。
    ↓
    ↓
田中正平の門弟の吉住小十郎は
算用数字を用いた縦書き譜を考案しました。
    ↓
    ↓
四世 杵家弥七が
この数字譜に洋楽の拍子の切り方を応用して
三味線糸を表す三本の線上に数字で勘所を表す
「三味線文化譜」を考案しました。
→現在の、長唄・浄瑠璃・端唄・小唄・民謡がこの形式です。



 私たちの勉強している「地歌」の場合、
「家庭式」と呼ばれる形式で、
三種の数字を用いて、
開放弦と勘所(ツボ)を表しています☆




手前の一番太い 一の糸は

イ一、イ五、イ八…の様に「イ」+「日本数字」

真ん中の  二の糸は
一、五、八…の様に「日本数字」のみ

一番細い  三の糸は
1、5、8…の様に「算用数字」

でそれぞれ表しております♪

(オクターブ高い音は・が、
2オクターブ高い音は・・が数字の横に付いています)


例えば、「さくら さくら」を弾く時には

557  557
さくら  さくら

とツボを表す数字が書かれるのです♪♪

三絃の楽譜を初めて目にすると
まるで暗号のように見える方がほとんどですので、
これを見慣れて、
その楽譜の示す位置(つぼ)に
指が行くことが
まずは三絃のお稽古の「事始め」になります。



楽譜のおかげで
曲全体をざっと頭に入れるのには
時間をかけずに済むようになりましたが、
それでも、口頭伝承が基本の古典。

音階の規則に沿った微妙な音の具合や、
その他微妙なニュアンスは、
楽譜で表現しきれません。
師匠の演奏から習ったり、
尺八との緩急などを打ち合わせたり、
それこそ、五感をフルに使って、
時には自分なりに書き込んだりします。

そして楽譜の行間から
曲が教えてくれることを感じ取り
表現していくことが大切で
やはり楽譜は補助手段として
使うものなのでしょう。

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