富士喜会 和の音いろ
このたび、富士喜会では会員とともに、「和の音いろ」演奏会を
開催させていただく運びとなりました。
それもひとえに、常に変わらぬ皆々様のご厚誼と、
ご助力くださいます諸先生方のおかげと心より感謝しております。
この感謝の気持ちとともに、
ここへ至るまでの富士喜会の活動の歩みを振り返り
出演者一人ひとりが、一音一音大切に気持ちをこめて
演奏させていただきます。
当日舞台に上がっていない会員一同も同じ心で
こらからも、「和」を以って精進していく所存です。
どうぞ今後ともよろしく
ご指導、ご支援賜りますようにお願い申し上げます。
プログラム 5曲
一 【八千代獅子】
江戸中期・三絃の技巧の始まり
三絃という楽器が広まってきますと、
その技巧を聞かせるための曲が多く作られるようになりました。
中でも、「○○獅子」と曲のタイトルについております、
「獅子物」というジャンルが流行っていきました。
この八千代獅子は、「ずっと幾年にも続いていくー八千代」を祝う獅子舞の曲です。
この曲は、琴古流尺八 宗家竹友社創立百周年記念演奏にて、
富士喜会が演奏いたしました思い出の曲でございます。
元々は、「朝顔獅子」という尺八の曲だったのを、
政島検校が胡弓に移曲。
それを、藤永検校が三絃に移したことにより広まったとされる曲です。
今回は、前唄の箇所からではなく、大鼓と小鼓の響きから始まり、
リズミカルな手事へと続いて演奏してまいります。
二 【稚児桜】
明治新曲
菊武祥庭が明治四十四年に、当時の小学校の教科書の文章にヒントを得て、
作曲いたしました。
鞍馬の稚児(寺院などで召し使われる児童)であった牛若丸が成人して
義経となるまでの話は、昔から人気がありました。
歌詞となっております文章には、牛若丸と弁慶の運命の出会いを中心に書かれています。
牛若丸は、昼は仏典を読み学問に励み、夜は武芸に磨きをかけ、
夜毎に源氏の再興を天満宮に祈願していました。
そして、ある夜のこと、牛若丸が弁慶と五条橋で出会い、
太刀をもらいたいという弁慶に、牛若丸が「太刀が欲しくば寄りて取れ」と答え、
その立ち回りの様子を見事に箏で表現しています。
立ち回りの場面では、「地」という、同じパターンを繰り返す奏法で弾く箏が入ります 。
左手と右手で「ツルシャン、ツルシャン…」 と繰り返されるのですが、
その軽やかな音色は、五条橋の欄干を「ひらりひらり」と
跳び歩く牛若丸の様子を表しています。
三 【乱輪舌(みだれりんぜつ】
江戸・筝曲の始まり
長年にわたり、古曲の代表作で人気のあります、
「六段の調」と同じ「八橋検校」が一七世紀に作曲したとされておりました。
近年の論文の中で、「六段の調」と同様に
キリシタン音楽を移曲したのではないか?という説もございますので、
「伝 八橋検校作曲」といたします。
十段の調べともいいます。
輪舌とは、走っている車の両輪の本奉の間に出来る 空間の形の事をいいます。
調子の変化が無限に変化する様子が 丁度ダイヤモンドの屈折をみるようで、
日本語では その様に無限に変化して数え切れないものを称して
乱という言葉で表現します。 (井上 江雲 解説)
四 【夕 顔】
江戸後期
「夕顔が綺麗に咲いた侘しい家があり、そこで ふと見かけた女に、
十七歳の源氏は心惹かれる様になり、源氏が近くの別荘に女を連れ出し、
夜に就寝していたところ、物の怪が現れて…」
これが、曲の題材となっております、源氏物語・巻四の「夕顔」の情景です。
歌詞では、源氏がとても美しい夕顔を見初めた様子を中心に描かれております。
当時の人が、皆が知っている物語を題材にした曲を作る場合、
この夕顔もそうなのですが、
物語の筋を、なぞるのではなくて、歌詞を
詩的に表現したものとなっているのです。
たとえば
「白露、光を添えて」とあるのですが、
それは、
夕顔が詠んだ
「心あてに それかぞとみる 白露の 光そへたる夕顔の花」
を表していて、
当時(江戸時代)の人々にとっては、
源氏物語の「夕顔」の巻も、物語の中の夕顔が詠んだ歌も
よく知られているものだったようです。
下に載せました夕顔の場面は
源氏が咲いている夕顔がほしいと言って、
家来に取りにやらせて、
「夕顔」の邸の者が、扇子に夕顔を乗せて、
源氏の家来に渡す場面です。
今回、この「夕顔」
琴古流尺八 江雲会宗家の井上江雲先生が好きでした曲の一つでございまして、
情緒豊かで美しく、優しい感じのする曲です。
短い曲で、弾き易い様にみえることから、箏や三絃を始めた方が、
早い段階で習う曲なのですが、曲の深い趣を表現するのには、
大変難しい曲でございます。
箏と三絃と尺八とで合奏する三曲合奏の形式で
演奏されることが多い曲ですが、今回は、三絃と尺八とで合奏いたします。
五 【富 士】
昭和の曲
大月宗明先生が、昭和四十六年に作曲いたしました。
我々「富士喜会」のテーマ曲として、演奏会毎に寄せている曲でございます。
箏本手・替手、三絃、十七絃、太鼓、尺八 と多くの楽器を用いての合奏曲です。
どの楽器が飛び出て聞こえることもなく、調和し、
華やかですが安定していて、壮大な感を受けるその構成は、
「富士」のありのままの姿を感じさせます。
作曲者の大月宗明先生の承諾をいただきまして、
一部分を抜粋させていただき、また、原曲よりも、緩やかな部分も多く、
「富士喜会流」で演奏いたします。
2011年11月13日 日曜日 紀尾井ホール 14時開場 14時半開演
3,000円
平安時代 源氏物語絵巻より「御法」の場面
(ニ玄社 原色かな手本より)
近世初頭 土佐光吉筆 「夕顔」の場面
(小学館日本の古典より)
2011年11月8日火曜日
2011年7月20日水曜日
稚児桜
ただいま、富士喜会は
11月13日の紀尾井ホールの演奏会「和の音いろ」へ向けて
胸をわくわくさせながら、稽古に励んでおります。
その中の一曲に稚児桜という曲があります。
写真はその名も稚児桜。
なんとも愛らしい花です。
邦楽は、江戸時代に、
三絃(三味線)と箏(琴)の合奏の曲がどんどん作られ、
発展していきました。
そして、幕末になりますと、
箏のみでの合奏曲が書かれる様になり、
明治に入りましても
箏の曲が多く作られていきました♪
今回は、そのような明治時代の筝(琴)の曲のお話です。
『稚児桜』
桜の花の様な稚児=牛若丸として、
曲のタイトルを「稚児桜」としています。
稚児とは、
寺院などで召し使われていた児童のことをいいます。
鞍馬の稚児であった牛若丸が成人して義経となるまでの話は、
昔からとても人気がありました。
情景が浮かび易い曲の歌詞は、
当時の小学校の教科書から採ったものでした。
この教科書の文章をヒントに、
菊武祥庭(1884~1954)が明治44年に作曲し、
当時、全国的に流行したとのこと(^^)
歌詞となっております文章には、、
牛若丸と弁慶の運命の出会いを中心に書かれています。
以下に歌詞をご紹介しますね。
鞍馬の寺の稚児桜 咲けや四海に馨るまで
昼は読経を勤むれど
暮るれば習ふ太刀剣
思ふ源氏の再興を 天満宮に祈らんと 夜毎に渡る五条橋
笛の音高く 夜は静か
思ひもよらず傍(かた)へより 出でて遮る大法師
太刀を給えと呼ばはれば
太刀が欲しくば寄りて取れ
(※)
さらば取らんと打ち振るふ
薙刀つひに落とされて、
今ぞひたすら降参の、誠を表はす 武蔵坊
さては汝が弁慶か 牛若君にましますか
主従の契り深かりし
鏡は清し加茂の水
ここに書かれている
牛若丸は、昼は仏典を読み、夜は武芸を磨き、夜毎に源氏の再興を祈願していました。
いつものように、静かな夜空に 牛若丸が高らかに笛を吹いて五条橋にさしかかると、
行く手を遮る大法師が現れて、太刀を もらいたいという。
牛若丸が「太刀が欲しければ腕づくで取っていけ」と答え、
牛若丸と大法師(弁慶)の立ち回りを箏で表現した合奏が奏でられます(※の部分)
立ち回りの場面では、
「地(じ)」という、同じパターンを繰り返す奏法で弾く箏が入ります。
左手と右手で「ツルシャン ツルシャン……」と繰り返すのですが、
その軽やかな音色は、五条橋の欄干を「ひらりひらり」と跳び歩く、
牛若丸の様子を表現しています♪♪
この「ツルシャン」の「地(じ)」の様に、
右手で「ツル」と弾いて、左手で「シャン」と和音を弾く「地(じ)」は、
明治の箏曲から誕生しました。
この「地」のもともとは「巣籠地」といって、
胡弓曲の「鶴の巣籠」という曲に由来して出来たもので、
「ツルテン ツルテン……」と繰り返す型が元となっています。
「鶴(ツル)」は、「松」に「巣を作る」ので、
「ツルテン ツルテン……」の「巣籠地」は、
曲の中の「松」が出てくる箇所や、
「松竹梅」の様な「松」が織り込まれている曲…などに使われます
お箏の演奏を聴く機会に、
このような「地」を使った曲に巡り合えるかもしれません
★名古屋系の流れを組む『稚児桜』では、文章の様な「地」と「本手」の合奏ですが、
大阪系の流れを組む『稚児桜』では、「地」ではなく、箏の3部合奏として曲が作られています
鞍馬寺
11月13日の紀尾井ホールの演奏会「和の音いろ」へ向けて
胸をわくわくさせながら、稽古に励んでおります。
その中の一曲に稚児桜という曲があります。
写真はその名も稚児桜。
なんとも愛らしい花です。
邦楽は、江戸時代に、
三絃(三味線)と箏(琴)の合奏の曲がどんどん作られ、
発展していきました。
そして、幕末になりますと、
箏のみでの合奏曲が書かれる様になり、
明治に入りましても
箏の曲が多く作られていきました♪
今回は、そのような明治時代の筝(琴)の曲のお話です。
『稚児桜』
桜の花の様な稚児=牛若丸として、
曲のタイトルを「稚児桜」としています。
稚児とは、
寺院などで召し使われていた児童のことをいいます。
鞍馬の稚児であった牛若丸が成人して義経となるまでの話は、
昔からとても人気がありました。
情景が浮かび易い曲の歌詞は、
当時の小学校の教科書から採ったものでした。
この教科書の文章をヒントに、
菊武祥庭(1884~1954)が明治44年に作曲し、
当時、全国的に流行したとのこと(^^)
歌詞となっております文章には、、
牛若丸と弁慶の運命の出会いを中心に書かれています。
以下に歌詞をご紹介しますね。
鞍馬の寺の稚児桜 咲けや四海に馨るまで
昼は読経を勤むれど
暮るれば習ふ太刀剣
思ふ源氏の再興を 天満宮に祈らんと 夜毎に渡る五条橋
笛の音高く 夜は静か
思ひもよらず傍(かた)へより 出でて遮る大法師
太刀を給えと呼ばはれば
太刀が欲しくば寄りて取れ
(※)
さらば取らんと打ち振るふ
薙刀つひに落とされて、
今ぞひたすら降参の、誠を表はす 武蔵坊
さては汝が弁慶か 牛若君にましますか
主従の契り深かりし
鏡は清し加茂の水
ここに書かれている
いつものように、静かな夜空に 牛若丸が高らかに笛を吹いて五条橋にさしかかると、
行く手を遮る大法師が現れて、太刀を もらいたいという。
牛若丸が「太刀が欲しければ腕づくで取っていけ」と答え、
牛若丸と大法師(弁慶)の立ち回りを箏で表現した合奏が奏でられます(※の部分)
立ち回りの場面では、
「地(じ)」という、同じパターンを繰り返す奏法で弾く箏が入ります。
左手と右手で「ツルシャン ツルシャン……」と繰り返すのですが、
その軽やかな音色は、五条橋の欄干を「ひらりひらり」と跳び歩く、
牛若丸の様子を表現しています♪♪
この「ツルシャン」の「地(じ)」の様に、
右手で「ツル」と弾いて、左手で「シャン」と和音を弾く「地(じ)」は、
明治の箏曲から誕生しました。
この「地」のもともとは「巣籠地」といって、
胡弓曲の「鶴の巣籠」という曲に由来して出来たもので、
「ツルテン ツルテン……」と繰り返す型が元となっています。
「鶴(ツル)」は、「松」に「巣を作る」ので、
「ツルテン ツルテン……」の「巣籠地」は、
曲の中の「松」が出てくる箇所や、
「松竹梅」の様な「松」が織り込まれている曲…などに使われます
お箏の演奏を聴く機会に、
このような「地」を使った曲に巡り合えるかもしれません
★名古屋系の流れを組む『稚児桜』では、文章の様な「地」と「本手」の合奏ですが、
大阪系の流れを組む『稚児桜』では、「地」ではなく、箏の3部合奏として曲が作られています
鞍馬寺
2011年6月4日土曜日
お稽古をはじめる前の調弦 ♪ 短箏との違い
いつものお稽古場での様子です。
お稽古場に伺って、向かい合って座ります。
まずはご挨拶。
筝と筝の合奏のお稽古をはじめます。
そして、2面が同じ調弦にする曲だったなら…
そして1弦ずつ、音を出して
もう一面の箏の音が一つになるように
琴柱を動かしながら合わせていきます。2面を同時にぴったり合うよう
一の弦から順番に二回ずつ同時に弾きながら
確認しつつ、微調整していきます。
この「音が合う・合わない」ということについてですが、
爪が弦に当たった瞬間の音は 「音」なのでそれを、比べるのではなくて
その後の、余韻ーこそが、「箏の音(いろ)」です。
それを「合わせる」ということなのです。
それには
耳を澄ませて、集中して、音の波動を合わせることが
必要です。
そして二つの音色が一つに聞こえるところで箏柱を留めます。
これも慣れといえば慣れなのですが、
この意味がわかってくることがとても大切で
とりもなおさず、自然にこの時間が
ここから曲を弾く心の準備にもなっているのです。
※以前に、「平調子」の調弦をした動画をご覧になって頂きましたが、
↑今回の調弦は、
『富士』という曲のための調弦ですので、
「平調子」に調弦してから、
一の弦を1オクターブ下げ
四と九の弦を一音上げた調子です☆
昭和に入ってからの曲なので
古曲を弾く場合よりも六と斗の弦を若干高めに調弦してあります(^^)
このように、弾く時の曲に合わせた
節(メロディとでもいうのでしょうか)を大切にした
微妙な調弦をすることが一番大切で、
邦楽が邦楽らしく魅力的に聞こえる真髄
(現代音楽と違うところ)と
言えるかもしれません。
・・・でも美しくなければ音楽ではないというところから
すれば、すべて同じなのでしょうか?
コラムをUpしながらいつも改めて
自分に問うところであります。
前回のコラムでご紹介しましたー短箏・ちどりー
<「3年間で一種類以上の和楽器に触れさせること」と、
学習指導要領に盛り込まれているその和楽器ですが
それように用意された特別サイズのお箏>
和楽器に触れさせること=使いやすいサイズに変えてますが・・・
なんですね。
ちどりの場合はチューナーを見ながらねじで合わせます。
一つ一つの音を同じにする。
まずはそこからなのですが・・・
和楽器の
なかなか伝わりにくい、デリケートな部分こそが、
邦楽の一番の魅力・よさなのですが
しかしそれは一番面倒で時間とエネルギーのいる部分
それを伝える為に
何ができるか、模索中の私たちであります。
2011年5月28日土曜日
中学校の邦楽授業の実際 ②
この「邦楽 豊学♪」で書いております13弦の筝(琴)は、
中国からもたらされ、雅楽で用いられていたのがルーツです♪
さて、その大きさですが、
雅楽の筝の初めのうちは、5尺5寸(約167cm)でした。
↓
嵯峨天皇(在位809~842)の頃に 1尺(約30.3cm)長くなりました。
↓
その後6尺4寸(約194cm)となりました。
*正式の大きさですよ、というのを表すのに、「本間(ほんけん)」という言い方があります。
生田流の筝は、京都で使われていた筝を本間として、
6尺3寸(約191cm)だったのですが、
山田流の本間である、6尺(182cm)の筝が、
「音が大きく出る様に改良されている」といった理由から、
生田流でも使い始め、
現在では、こちらが一般的になりました。
近年、学校の音楽の授業で、筝を弾く時間が設けられる様になりました。
長い筝を保管するのが難しく、
授業では保管に便利なケース入りの短い筝を使用しています。
今回触れることができたのは
浜松市にある「鈴木楽器製作所」が作りました
「ちどり」というタイプの筝です
前回のコラムの最後にあった写真のものです
長さは122cm(約4尺)ですので、
通常の写真の筝の2/3の長さです。
<普通の筝との一番の違い>
①調弦の仕方
★(富士喜会で日頃弾いております)一般的な筝は、
琴柱(ことじ)を動かして調弦します
☆「ちどり」は、琴柱を印のついた個所に立て、
横についたチューニングピンをハンドルで調節して、
弦の張力を変えて調弦します。
この箏を平調子に調弦するのには
慣れていないこともあり
相当時間がかかりました。
<箏柱の下にある白い点がしるしです>
児童(生徒)が自分で琴柱を立てて弾くことが出来る、
切れた糸を新しい糸に変えやすい、
というのを考えますと、このような構造に行き着くのでしょう。
②複数の面数を用意するとき
☆「ちどり」の場合、
一面毎にチューナーとハンドルで合わせて、
全ての面数が同じ音になる様に調弦するのですが、
★一般的な筝の場合、
たとえば10面を同じ調弦にする場合、
まず、一面目(種箏とします)を丁寧に調弦して、
一人の人が「種箏」の一から順番に弾いて、
もう一人の人が「筝2」の琴柱を動かして、
「種箏」と同じ音が出るように調弦します。
同様に「筝3……筝10」が、「種筝1」と同じ音が出るように調弦をしていきます(^.^)
丹精こめて調弦をいたしますと、どんなに面数が多くても、
澄んだ音色で、一つに聴こえるのです♪♪
不協和音のない音はまっすぐ歪まずに遠くまで聞こえます。
さて、短筝「ちどり」の弾き心地ですが、思っていたよりも音が大きく出ました(^^)
そして、勿論、
一般的な筝と同様、床に置いて弾いた方が弾きやすく、
メロディオンを弾く様に机においた状態では、
爪を当てるのが難しく、しっかり弾くことはできません。
長さの違いやら、日頃弾いている筝の桐の材質の違いもあり、
余韻などの響きの違いは感じるので、
是非是非、本当の長さの筝を間近で聴く機会が
皆様にあればなぁ~と思います(*^。^*)
この他にも、こんな事を試してみました♪
一をGでとって調弦することがあるのですが、
かなり琴柱の位置が下がり、
慣れてない方ですと、弦を押さえて半音や一音上げたり…というのが、本当に大変なのです(*_*)
写真は、一をGで調弦した低音の筝と、一をDでとった筝が並んでいるものです。
琴柱の位置を比べてみて下さい(^.^)
☆「ちどり」の、どんな調弦でも琴柱の位置が変わらない、という特徴を生かして、
一をGの低音にまで弦を緩めることができるかと
ハンドルで調節してみたところ、無理なく調弦できました。
これなら、生田流の一をGでとる「六段の調」を少し弾いてみよう♪ とか、
同じメロディーを低音と高音で弾いて合奏しよう♪ とか、
可能性は広がりそうに感じました♪♪
もっともっと弾いてみたい o(^^)o
そんな子たちが増えるといいな…と思います♪♪♪
中国からもたらされ、雅楽で用いられていたのがルーツです♪
さて、その大きさですが、
雅楽の筝の初めのうちは、5尺5寸(約167cm)でした。
↓
嵯峨天皇(在位809~842)の頃に 1尺(約30.3cm)長くなりました。
↓
その後6尺4寸(約194cm)となりました。
*正式の大きさですよ、というのを表すのに、「本間(ほんけん)」という言い方があります。
生田流の筝は、京都で使われていた筝を本間として、
6尺3寸(約191cm)だったのですが、
山田流の本間である、6尺(182cm)の筝が、
「音が大きく出る様に改良されている」といった理由から、
生田流でも使い始め、
現在では、こちらが一般的になりました。
近年、学校の音楽の授業で、筝を弾く時間が設けられる様になりました。
長い筝を保管するのが難しく、
授業では保管に便利なケース入りの短い筝を使用しています。
今回触れることができたのは
浜松市にある「鈴木楽器製作所」が作りました
「ちどり」というタイプの筝です
前回のコラムの最後にあった写真のものです
長さは122cm(約4尺)ですので、
通常の写真の筝の2/3の長さです。
<普通の筝との一番の違い>
①調弦の仕方
★(富士喜会で日頃弾いております)一般的な筝は、
琴柱(ことじ)を動かして調弦します
☆「ちどり」は、琴柱を印のついた個所に立て、
横についたチューニングピンをハンドルで調節して、
弦の張力を変えて調弦します。
この箏を平調子に調弦するのには
慣れていないこともあり
相当時間がかかりました。
<箏柱の下にある白い点がしるしです>
児童(生徒)が自分で琴柱を立てて弾くことが出来る、
切れた糸を新しい糸に変えやすい、
というのを考えますと、このような構造に行き着くのでしょう。
②複数の面数を用意するとき
☆「ちどり」の場合、
一面毎にチューナーとハンドルで合わせて、
全ての面数が同じ音になる様に調弦するのですが、
★一般的な筝の場合、
たとえば10面を同じ調弦にする場合、
まず、一面目(種箏とします)を丁寧に調弦して、
一人の人が「種箏」の一から順番に弾いて、
もう一人の人が「筝2」の琴柱を動かして、
「種箏」と同じ音が出るように調弦します。
同様に「筝3……筝10」が、「種筝1」と同じ音が出るように調弦をしていきます(^.^)
丹精こめて調弦をいたしますと、どんなに面数が多くても、
澄んだ音色で、一つに聴こえるのです♪♪
不協和音のない音はまっすぐ歪まずに遠くまで聞こえます。
さて、短筝「ちどり」の弾き心地ですが、思っていたよりも音が大きく出ました(^^)
そして、勿論、
一般的な筝と同様、床に置いて弾いた方が弾きやすく、
メロディオンを弾く様に机においた状態では、
爪を当てるのが難しく、しっかり弾くことはできません。
長さの違いやら、日頃弾いている筝の桐の材質の違いもあり、
余韻などの響きの違いは感じるので、
是非是非、本当の長さの筝を間近で聴く機会が
皆様にあればなぁ~と思います(*^。^*)
この他にも、こんな事を試してみました♪
一をGでとって調弦することがあるのですが、
かなり琴柱の位置が下がり、
慣れてない方ですと、弦を押さえて半音や一音上げたり…というのが、本当に大変なのです(*_*)
写真は、一をGで調弦した低音の筝と、一をDでとった筝が並んでいるものです。
琴柱の位置を比べてみて下さい(^.^)
☆「ちどり」の、どんな調弦でも琴柱の位置が変わらない、という特徴を生かして、
一をGの低音にまで弦を緩めることができるかと
ハンドルで調節してみたところ、無理なく調弦できました。
これなら、生田流の一をGでとる「六段の調」を少し弾いてみよう♪ とか、
同じメロディーを低音と高音で弾いて合奏しよう♪ とか、
可能性は広がりそうに感じました♪♪
もっともっと弾いてみたい o(^^)o
そんな子たちが増えるといいな…と思います♪♪♪
2011年5月25日水曜日
中学校の邦楽授業の実際 ①
文化庁のHPでこんな記事をみつけました。
伝統音楽普及促進支援事業
三味線音楽や箏曲などの我が国で古くから人々に親しまれてきた
伝統音楽は,今や継承することが危機的な状況になっています。
このままでは,気がついたときには消滅している可能性もあります。
それを防ぐには,次代を担う子供たちが,
学校の授業の中で伝統音楽に触れ,
将来の伝承者や理解者に育っていく環境を醸成していくことが必要です。
学習指導要領の改訂により,音楽の授業で扱う伝統音楽が充実されました。
これを契機に,学校教育において伝統音楽を効果的に扱うためには
どうしたらよいのか,
実演家,教員,さらには支える人たち(調整者)が協働して,
伝統音楽の素晴らしさを子供たちに教えていく仕組みが形成されることを目指しています。
************************************
実際、邦楽にたずさわり、半世紀近く・・、
尺八はじめ、お箏や三絃を習う人口が減っているのは
実感するところです。
上記のいうところでは実演家=となる私たちですが、
文化庁からもこのような支援事業が発表されるのは
うれしいことです。
どうか、これらが有効に発動し、
結果がでますように、
このコラムが微力ながらでも役にたてないかと
願う次第です。
自分が箏や三絃にかかわり
かけがえのないものと出会ったという実感が増せば増すほど
これからの、新しい人たち、子供たちに、
邦楽の本当のよさを伝えていきたい、との気持ちが増しています。
「3年間で一種類以上の和楽器に触れさせること」と、
学習指導要領に盛り込まれているその和楽器ですが
それように用意された特別サイズのお箏です。
下が通常私たちが演奏しているものです。
短くなってしまった理由にはいろいろあるようですが、
弾き心地、調弦、その他
次回にまた~。
伝統音楽普及促進支援事業
三味線音楽や箏曲などの我が国で古くから人々に親しまれてきた
伝統音楽は,今や継承することが危機的な状況になっています。
このままでは,気がついたときには消滅している可能性もあります。
それを防ぐには,次代を担う子供たちが,
学校の授業の中で伝統音楽に触れ,
将来の伝承者や理解者に育っていく環境を醸成していくことが必要です。
学習指導要領の改訂により,音楽の授業で扱う伝統音楽が充実されました。
これを契機に,学校教育において伝統音楽を効果的に扱うためには
どうしたらよいのか,
実演家,教員,さらには支える人たち(調整者)が協働して,
伝統音楽の素晴らしさを子供たちに教えていく仕組みが形成されることを目指しています。
************************************
実際、邦楽にたずさわり、半世紀近く・・、
尺八はじめ、お箏や三絃を習う人口が減っているのは
実感するところです。
上記のいうところでは実演家=となる私たちですが、
文化庁からもこのような支援事業が発表されるのは
うれしいことです。
どうか、これらが有効に発動し、
結果がでますように、
このコラムが微力ながらでも役にたてないかと
願う次第です。
自分が箏や三絃にかかわり
かけがえのないものと出会ったという実感が増せば増すほど
これからの、新しい人たち、子供たちに、
邦楽の本当のよさを伝えていきたい、との気持ちが増しています。
「3年間で一種類以上の和楽器に触れさせること」と、
学習指導要領に盛り込まれているその和楽器ですが
それように用意された特別サイズのお箏です。
下が通常私たちが演奏しているものです。
短くなってしまった理由にはいろいろあるようですが、
弾き心地、調弦、その他
次回にまた~。
2011年4月27日水曜日
演奏会のお知らせ
第42回 琴古流尺八演奏会
平成23年4月30日(土) 午前11時~
北とぴあ(さくらホール) 03-5390-1100
入場料 1000円
年一回ある、恒例の尺八演奏会に出演します。
20番目 ままの川
参考動画
http://www.youtube.com/watch?v=uh8-1xLu_6A
富士喜会 練馬教室
http://members3.jcom.home.ne.jp/yorokobinokai/annai.html
昭島教室
http://tabecho.com/koto/
当日の様子です
ご来場のみなさまありがとうございました。
2011年2月25日金曜日
22 打ち合せという合奏方法
今回は、特殊な合奏の方法のお話です。
「打ち合わせ」と言われる、この合奏形態は、洋楽にはありません。
邦楽の面白さ、として紹介される合奏形態をご紹介します。
異なる曲同士を一緒に演奏する合奏方法を
「打ち合わせ」といいますが。
富士喜会でよく演奏される曲が
「れん木 すり鉢」 です。
「れん木」という曲と、
「すり鉢」という別の曲を同時に弾くのです。
全曲まるまる別の曲と合わせる場合は、
拍数を同じにしてあるので
同時に弾くことが出来るのです。
曲の一部分だけを合わせる場合もあるのですが、
どちらの場合も、
後から作曲した方が、
元々ある曲との合奏を考慮して作ってあるのです♪
初めから終わりまで合奏出来る例として、
『菜蕗』(fuki)(八橋検校) と
『夕べの雲』(光崎検校または菊岡検校) の合奏♪
先程紹介いたしました
『れん木』(不詳)と
『すり鉢』(油屋茂作)と
『せっかい』(不詳)
の合奏などがあります♪
また、一部分が合奏可能という例は大変な数がございます☆
◆『磯千鳥』(菊岡検校)の*チラシという部分と
『萩の露』(幾山検校)の*チラシ部分
◆『新浮舟』(松浦検校)の*チラシ
『若菜』(松浦検校)の*チラシ
などなどです(^^)
『新浮舟』と『若菜』の合奏の様に
作曲者が同じ、というのは有り得る話かな、
と思うのですが、
全く違う作曲者の方が、
こっそり合奏出来る様に作った、というのが興味深いですね(^0^)/
さて、
『れん木』『すり鉢』の2曲を同時に弾く打ち合わせですが、
『れん木』『すり鉢』『せっかい』
の三曲を同時に合奏をするのも
多くのところで見受けます♪
「れん木」と「すり鉢」とは、
ご存じの様に、
料理に使います、「すり鉢」と
擦る為に使用します棒→「れん木」です
「せっかい」とは、
「切匙」や「狭匙」と書きまして、
「すり鉢」の溝の中を掻き出す為の道具です。
歌詞も、三曲全てを眺めますと、
「れん木」と「すり鉢」と「せっかい」は
切っても切れない仲ですのに、
バラバラにするなんて…
と歌い、離された恨み言の恋心も匂わせています。
参考までに歌詞を書きました♪
『すり鉢』
海山を 越えて この世に住みなれて
比翼連理と契りし仲を
煙を立つる賎の女が
心ごころに逢はぬ日も
逢ふ日も夜は独り寝の
暮れを惜しみて 待つ山かづら
昼のみ暮らす 里もがな
『れん木』
奥山に あまた切り出すその中に
比翼れん木といい馴れ染めて
煙の種と小原女が 心づくしに送る日の
重荷も何の厭ふまじ
君を頭に戴きつれて
足鳴ら摺りこ木 八瀬の里
『せっかい』
御山路の 杉のきれはし里へ出で
日頃れん木と睦みし仲を 見損なったぞ私でも
大納言に鶯と 名と憂き恋に言われても
身をすり鉢 谷間に住まひ
広いや世界 狭うなき
※比翼連理とは
「比翼の鳥」、「連理の枝」この二つを略して四文字熟語としたものです。
「比翼の鳥」とは、雌雄が一体とされる想像上の鳥のこと。
息を合わせないと飛べません。
「連理の枝」とは、別々に生えた二本の木が結合して、
一本の枝となっているものです
夫婦仲の良いことのたとえや、男女の深い契りを表す時に使います。
…三曲ともに歌詞がある ものを同時に演奏って、どうするの??
と疑問に思われた方もいらっしゃるのでは?
本来は、
歌も同時に歌い、合奏するとのこと。
どうにも聞く方も混乱してしまい、
三曲の中の一曲の歌詞で歌い
合奏する演奏形態をとる場合が多い様です。
いずれにしても、
この「打ち合わせ」という合奏方法は、
作曲者の遊び心を感じます~(^0^)/
参考
「*チラシ」について、
さらにまたお話していくと定義が
長々してきますので、もっとご興味のある方は
「手事」について~下記をご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E4%BA%8B%E7%89%A9
「打ち合わせ」と言われる、この合奏形態は、洋楽にはありません。
邦楽の面白さ、として紹介される合奏形態をご紹介します。
異なる曲同士を一緒に演奏する合奏方法を
「打ち合わせ」といいますが。
富士喜会でよく演奏される曲が
「れん木 すり鉢」 です。
「れん木」という曲と、
「すり鉢」という別の曲を同時に弾くのです。
全曲まるまる別の曲と合わせる場合は、
拍数を同じにしてあるので
同時に弾くことが出来るのです。
曲の一部分だけを合わせる場合もあるのですが、
どちらの場合も、
後から作曲した方が、
元々ある曲との合奏を考慮して作ってあるのです♪
初めから終わりまで合奏出来る例として、
『菜蕗』(fuki)(八橋検校) と
『夕べの雲』(光崎検校または菊岡検校) の合奏♪
先程紹介いたしました
『れん木』(不詳)と
『すり鉢』(油屋茂作)と
『せっかい』(不詳)
の合奏などがあります♪
また、一部分が合奏可能という例は大変な数がございます☆
◆『磯千鳥』(菊岡検校)の*チラシという部分と
『萩の露』(幾山検校)の*チラシ部分
◆『新浮舟』(松浦検校)の*チラシ
『若菜』(松浦検校)の*チラシ
などなどです(^^)
『新浮舟』と『若菜』の合奏の様に
作曲者が同じ、というのは有り得る話かな、
と思うのですが、
全く違う作曲者の方が、
こっそり合奏出来る様に作った、というのが興味深いですね(^0^)/
さて、
『れん木』『すり鉢』の2曲を同時に弾く打ち合わせですが、
『れん木』『すり鉢』『せっかい』
の三曲を同時に合奏をするのも
多くのところで見受けます♪
「れん木」と「すり鉢」とは、
ご存じの様に、
料理に使います、「すり鉢」と
擦る為に使用します棒→「れん木」です
「せっかい」とは、
「切匙」や「狭匙」と書きまして、
「すり鉢」の溝の中を掻き出す為の道具です。
歌詞も、三曲全てを眺めますと、
「れん木」と「すり鉢」と「せっかい」は
切っても切れない仲ですのに、
バラバラにするなんて…
と歌い、離された恨み言の恋心も匂わせています。
参考までに歌詞を書きました♪
『すり鉢』
海山を 越えて この世に住みなれて
比翼連理と契りし仲を
煙を立つる賎の女が
心ごころに逢はぬ日も
逢ふ日も夜は独り寝の
暮れを惜しみて 待つ山かづら
昼のみ暮らす 里もがな
『れん木』
奥山に あまた切り出すその中に
比翼れん木といい馴れ染めて
煙の種と小原女が 心づくしに送る日の
重荷も何の厭ふまじ
君を頭に戴きつれて
足鳴ら摺りこ木 八瀬の里
『せっかい』
御山路の 杉のきれはし里へ出で
日頃れん木と睦みし仲を 見損なったぞ私でも
大納言に鶯と 名と憂き恋に言われても
身をすり鉢 谷間に住まひ
広いや世界 狭うなき
※比翼連理とは
「比翼の鳥」、「連理の枝」この二つを略して四文字熟語としたものです。
「比翼の鳥」とは、雌雄が一体とされる想像上の鳥のこと。
息を合わせないと飛べません。
「連理の枝」とは、別々に生えた二本の木が結合して、
一本の枝となっているものです
夫婦仲の良いことのたとえや、男女の深い契りを表す時に使います。
…三曲ともに歌詞がある ものを同時に演奏って、どうするの??
と疑問に思われた方もいらっしゃるのでは?
本来は、
歌も同時に歌い、合奏するとのこと。
どうにも聞く方も混乱してしまい、
三曲の中の一曲の歌詞で歌い
合奏する演奏形態をとる場合が多い様です。
いずれにしても、
この「打ち合わせ」という合奏方法は、
作曲者の遊び心を感じます~(^0^)/
参考
「*チラシ」について、
さらにまたお話していくと定義が
長々してきますので、もっとご興味のある方は
「手事」について~下記をご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E4%BA%8B%E7%89%A9
2011年2月20日日曜日
21 三絃の楽譜について
今回は、
そんな三絃(三味線)の楽譜の事を
歴史を辿りながら書いてまいります☆
邦楽に限らず、
様々な音楽のジャンルに楽譜は存在しています♪
音楽の中で重要と思われる様相を
視覚的な記号に定着させる方法を
「記譜法」といいます。
古来から、様々な国で、
音楽の伝承手段として考えられて来ました。
その結果として記されたのが楽譜です☆
他の国に比べて、
日本音楽にとっての楽譜は、
「補助手段」という役割でした。
日本音楽は、
「口頭伝承」という方法を優先的に用いるのが特徴です。
口頭伝承といっても、
耳と口だけではなく、
視覚による観察、
触覚による記憶など、
五感をフルに使って伝承されてきました。
さて、
三絃(三味線)の楽譜は、
江戸時代に三味線が一気に普及いたしますと、
江戸時代を通して様々に工夫されていきました。
最も多い形は、
棹上の勘所(ツボ)を示す形式でした。
この、楽器の奏法を文字・数字・記号で表す方法を
「奏法譜(タブラチュア)」と いいます☆
ギターもこの方法ですね(^^)
我が国の伝統音楽の楽譜の大部分は、
この奏法譜で書かれています。
江戸時代初期の楽譜として
『糸竹初心集』(1664年)や
『大ぬさ』(1687年以前)では、
まだ使用する勘所も少ないので
簡単な口三味線譜でした。
口三味線は「唱歌(しょうが)」ともいうのですが、
擬声的に旋律を唱えるものなのですが、
現在でも、
楽譜に添えられますし、
稽古の際に弾き方が理解しやすくなります。
小さくカタカナで書いてあるのが
口三味線の部分です
バチで普通に弾く場合は、
チ・ツ・テ・ト とタ行音で書かれます
勘所をどこも押さえずに弾く開放弦の場合は、
トン(一の糸、二の糸)
テン(三の糸)
…といった決まりがあります。
実際、弾いておりますと
その様に聞こえてきます。
楽譜が発展してきましたのは、
明治期以後のこと。
音響学者の田中正平が、
1899年にドイツから帰国後に邦楽研究所を創立して
五線譜で三味線の楽譜を作る事を試みました。
↓
↓
田中正平の門弟の吉住小十郎は
算用数字を用いた縦書き譜を考案しました。
↓
↓
四世 杵家弥七が
この数字譜に洋楽の拍子の切り方を応用して
三味線糸を表す三本の線上に数字で勘所を表す
「三味線文化譜」を考案しました。
→現在の、長唄・浄瑠璃・端唄・小唄・民謡がこの形式です。
私たちの勉強している「地歌」の場合、
「家庭式」と呼ばれる形式で、
三種の数字を用いて、
開放弦と勘所(ツボ)を表しています☆
手前の一番太い 一の糸は
イ一、イ五、イ八…の様に「イ」+「日本数字」
真ん中の 二の糸は
一、五、八…の様に「日本数字」のみ
一番細い 三の糸は
1、5、8…の様に「算用数字」
でそれぞれ表しております♪
(オクターブ高い音は・が、
2オクターブ高い音は・・が数字の横に付いています)
例えば、「さくら さくら」を弾く時には
557 557
さくら さくら
とツボを表す数字が書かれるのです♪♪
三絃の楽譜を初めて目にすると
まるで暗号のように見える方がほとんどですので、
これを見慣れて、
その楽譜の示す位置(つぼ)に
指が行くことが
まずは三絃のお稽古の「事始め」になります。
楽譜のおかげで
曲全体をざっと頭に入れるのには
時間をかけずに済むようになりましたが、
それでも、口頭伝承が基本の古典。
音階の規則に沿った微妙な音の具合や、
その他微妙なニュアンスは、
楽譜で表現しきれません。
師匠の演奏から習ったり、
尺八との緩急などを打ち合わせたり、
それこそ、五感をフルに使って、
時には自分なりに書き込んだりします。
そして楽譜の行間から
曲が教えてくれることを感じ取り
表現していくことが大切で
やはり楽譜は補助手段として
使うものなのでしょう。
そんな三絃(三味線)の楽譜の事を
歴史を辿りながら書いてまいります☆
邦楽に限らず、
様々な音楽のジャンルに楽譜は存在しています♪
音楽の中で重要と思われる様相を
視覚的な記号に定着させる方法を
「記譜法」といいます。
古来から、様々な国で、
音楽の伝承手段として考えられて来ました。
その結果として記されたのが楽譜です☆
他の国に比べて、
日本音楽にとっての楽譜は、
「補助手段」という役割でした。
日本音楽は、
「口頭伝承」という方法を優先的に用いるのが特徴です。
口頭伝承といっても、
耳と口だけではなく、
視覚による観察、
触覚による記憶など、
五感をフルに使って伝承されてきました。
さて、
三絃(三味線)の楽譜は、
江戸時代に三味線が一気に普及いたしますと、
江戸時代を通して様々に工夫されていきました。
最も多い形は、
棹上の勘所(ツボ)を示す形式でした。
この、楽器の奏法を文字・数字・記号で表す方法を
「奏法譜(タブラチュア)」と いいます☆
ギターもこの方法ですね(^^)
我が国の伝統音楽の楽譜の大部分は、
この奏法譜で書かれています。
江戸時代初期の楽譜として
『糸竹初心集』(1664年)や
『大ぬさ』(1687年以前)では、
まだ使用する勘所も少ないので
簡単な口三味線譜でした。
口三味線は「唱歌(しょうが)」ともいうのですが、
擬声的に旋律を唱えるものなのですが、
現在でも、
楽譜に添えられますし、
稽古の際に弾き方が理解しやすくなります。
小さくカタカナで書いてあるのが
口三味線の部分です
バチで普通に弾く場合は、
チ・ツ・テ・ト とタ行音で書かれます
勘所をどこも押さえずに弾く開放弦の場合は、
トン(一の糸、二の糸)
テン(三の糸)
…といった決まりがあります。
実際、弾いておりますと
その様に聞こえてきます。
楽譜が発展してきましたのは、
明治期以後のこと。
音響学者の田中正平が、
1899年にドイツから帰国後に邦楽研究所を創立して
五線譜で三味線の楽譜を作る事を試みました。
↓
↓
田中正平の門弟の吉住小十郎は
算用数字を用いた縦書き譜を考案しました。
↓
↓
四世 杵家弥七が
この数字譜に洋楽の拍子の切り方を応用して
三味線糸を表す三本の線上に数字で勘所を表す
「三味線文化譜」を考案しました。
→現在の、長唄・浄瑠璃・端唄・小唄・民謡がこの形式です。
「家庭式」と呼ばれる形式で、
三種の数字を用いて、
開放弦と勘所(ツボ)を表しています☆
手前の一番太い 一の糸は
イ一、イ五、イ八…の様に「イ」+「日本数字」
真ん中の 二の糸は
一、五、八…の様に「日本数字」のみ
一番細い 三の糸は
1、5、8…の様に「算用数字」
でそれぞれ表しております♪
(オクターブ高い音は・が、
2オクターブ高い音は・・が数字の横に付いています)
例えば、「さくら さくら」を弾く時には
557 557
さくら さくら
とツボを表す数字が書かれるのです♪♪
三絃の楽譜を初めて目にすると
まるで暗号のように見える方がほとんどですので、
これを見慣れて、
その楽譜の示す位置(つぼ)に
指が行くことが
まずは三絃のお稽古の「事始め」になります。
楽譜のおかげで
曲全体をざっと頭に入れるのには
時間をかけずに済むようになりましたが、
それでも、口頭伝承が基本の古典。
音階の規則に沿った微妙な音の具合や、
その他微妙なニュアンスは、
楽譜で表現しきれません。
師匠の演奏から習ったり、
尺八との緩急などを打ち合わせたり、
それこそ、五感をフルに使って、
時には自分なりに書き込んだりします。
そして楽譜の行間から
曲が教えてくれることを感じ取り
表現していくことが大切で
やはり楽譜は補助手段として
使うものなのでしょう。
2011年2月9日水曜日
⑳三絃の名称とサワリについて
今回は、
このコラムの中で、
三絃(三味線)といつも記述をしていますので、
まず、名称について書いていきます♪
伝来した中国の「三弦」は
「サンシュン」や「サンシェン」と読みましたが、
本土に伝わって変化しまして、
「三弦」や「三絃」と書いて
「サンセン」→「サミセン」と読んでいました。
その後、
更に読みが変化いたしまして、
「サミセン」→「シャムセン」→「シャミセン」となり、
「三味線」の漢字が当てられる様になりました。
地唄の場合、
昔からの書き方の
「三絃」で「サンゲン」という読み方をする方がまだまだ多いのです。
邦楽に縁のない方には「三絃」という名称、
馴染みがないのではないでしょうか?
そこでコラムの中で
「三絃(三味線)」とさせていただいております。
前回は、撥を当てる場所の
「胴」の部分を紹介いたしました♪
「胴」が大きくなったのも、
初めに三味線を弾いたのが
琵琶法師でしたので
より撥が当てやすく、という改良からなのですが、
今回掲載します部分にも、
琵琶からの影響がみられます☆
と糸巻の部分を横から撮ったものです。
本土に入って来た「三弦」は、
少ししか後方に湾曲していなかったのですが、
その後、琵琶と同じ様に
大きく後ろに反った構造となりました。
そして
日本に入ってから
「サワリ」という、独特な工夫が加わりました。
金属の小さな駒があります(上駒といいまして、象牙を用いる事もあります)
この上駒に乗らない一番太い糸(一の糸)は、
開放弦が振動しますと、
写真にあります凹凸の、凸の部分(サワリの山)に触れて
複雑な高次倍音が響いて、
味わい深い音が奏でられるのです。
この、太い糸だけではなく、
他の二つの弦(真ん中の「二の糸」、一番細い「三の糸」)でも、
よく協和する音を奏した場合、
サワリの効果が生まれます
糸巻を回して
糸を巻いて調弦をしただけでは、
なかなかサワリが付かなくて、
その独特な響きを出すのには
少々経験・工夫が必要です。
浮きすぎた一の糸を
サワリの山に近付ける為に
弦を押したり、
凹の部分のサワリの谷が深過ぎたりすると
薄くて小さい紙を挟み、
「紙ザワリ」という方法でサワリを付けます。
糸の位置を、微妙に、変えるだけでも
サワリが付いたりします。
まずは、一の糸の妙なる響きが出るよう
まずは、三絃を整える、、
そのことからもう、演奏が始まっています。
**********************************************
参考
三味線ーウィキペディアより
通常、一の糸の巻き取り部の近くに「さわり」と呼ばれるしくみがある。
これは一の糸の開放弦をわずかに棹に接触させることによって
「ビーン」という音を出させるもので、倍音成分を増やして
音色に味を付け、響きを延ばす効果がある。
これによって発する音は一種のノイズであるが、
三味線の音には欠かせないものである。
三味線の「さわり」の特徴は
一の糸のみに「さわり」がついているにもかかわらず、
二の糸や三の糸の特定の押さえる場所にも、
共鳴によって同様の効果をもつ音があることである。
これにより響きが豊かになるとともに、
調弦の種類により共鳴する音が変わるので、
その調弦法独特の雰囲気をかもし出す要因ともなっている
*少々専門的なお話になってきましたので、
補足として、ウィキペディアからの参考部分を
引用掲載させていただきました。
このコラムの中で、
三絃(三味線)といつも記述をしていますので、
まず、名称について書いていきます♪
伝来した中国の「三弦」は
「サンシュン」や「サンシェン」と読みましたが、
本土に伝わって変化しまして、
「三弦」や「三絃」と書いて
「サンセン」→「サミセン」と読んでいました。
その後、
更に読みが変化いたしまして、
「サミセン」→「シャムセン」→「シャミセン」となり、
「三味線」の漢字が当てられる様になりました。
地唄の場合、
昔からの書き方の
「三絃」で「サンゲン」という読み方をする方がまだまだ多いのです。
邦楽に縁のない方には「三絃」という名称、
馴染みがないのではないでしょうか?
そこでコラムの中で
「三絃(三味線)」とさせていただいております。
前回は、撥を当てる場所の
「胴」の部分を紹介いたしました♪
「胴」が大きくなったのも、
初めに三味線を弾いたのが
琵琶法師でしたので
より撥が当てやすく、という改良からなのですが、
今回掲載します部分にも、
琵琶からの影響がみられます☆
写真は、
棹の一番上端の部分(海老尾または天神と言います)と糸巻の部分を横から撮ったものです。
本土に入って来た「三弦」は、
少ししか後方に湾曲していなかったのですが、
その後、琵琶と同じ様に
大きく後ろに反った構造となりました。
そして
日本に入ってから
「サワリ」という、独特な工夫が加わりました。
金属の小さな駒があります(上駒といいまして、象牙を用いる事もあります)
この上駒に乗らない一番太い糸(一の糸)は、
開放弦が振動しますと、
写真にあります凹凸の、凸の部分(サワリの山)に触れて
複雑な高次倍音が響いて、
味わい深い音が奏でられるのです。
この、太い糸だけではなく、
他の二つの弦(真ん中の「二の糸」、一番細い「三の糸」)でも、
よく協和する音を奏した場合、
サワリの効果が生まれます
糸巻を回して
糸を巻いて調弦をしただけでは、
なかなかサワリが付かなくて、
その独特な響きを出すのには
少々経験・工夫が必要です。
浮きすぎた一の糸を
サワリの山に近付ける為に
弦を押したり、
凹の部分のサワリの谷が深過ぎたりすると
薄くて小さい紙を挟み、
「紙ザワリ」という方法でサワリを付けます。
糸の位置を、微妙に、変えるだけでも
サワリが付いたりします。
まずは、一の糸の妙なる響きが出るよう
まずは、三絃を整える、、
そのことからもう、演奏が始まっています。
**********************************************
参考
三味線ーウィキペディアより
通常、一の糸の巻き取り部の近くに「さわり」と呼ばれるしくみがある。
これは一の糸の開放弦をわずかに棹に接触させることによって
「ビーン」という音を出させるもので、倍音成分を増やして
音色に味を付け、響きを延ばす効果がある。
これによって発する音は一種のノイズであるが、
三味線の音には欠かせないものである。
三味線の「さわり」の特徴は
一の糸のみに「さわり」がついているにもかかわらず、
二の糸や三の糸の特定の押さえる場所にも、
共鳴によって同様の効果をもつ音があることである。
これにより響きが豊かになるとともに、
調弦の種類により共鳴する音が変わるので、
その調弦法独特の雰囲気をかもし出す要因ともなっている
*少々専門的なお話になってきましたので、
補足として、ウィキペディアからの参考部分を
引用掲載させていただきました。
2011年1月31日月曜日
⑲三絃のお話
邦楽♪豊学のこのコラムも19回目となりました。
10月25日番外編⑦⑧で載せました
三絃(三味線)と尺八、鼓による
富士喜会の演奏『八千代獅子』を
お聞きになった方もいらっしゃると思いますが、
その三絃のお話を、
今回から、
楽器の伝来や構造、弾き方などなどを
曲の紹介を交えつつ進めていきたいと思います。
三絃と箏は、別々のジャンルだったのですが、
1688年頃から交流し始めまして、
もともと三絃の曲だった物に、
合奏できる様に箏の手が作られていきました♪
箏は、奈良時代には中国(唐)から伝来しておりましたが、
三絃(三味線)が伝来したのは
かなり後になります☆
中国には「元」の時代より
「三弦(サンシュン)」という楽器が存在していました♪ ↓
14世紀末、
琉球に伝来します。
現在でも沖縄で使用されている「サンシン」と呼ばれている物で、
「サンシン」は、中国から伝来してから
形状は ほぼ一緒のまま
今でも使われています♪
↓
1558~1569年に大阪の堺港に入り、
本土に三味線が伝わりました☆
(初めて見た方達は驚いたことでしょう(^O^))
本土に入って来た時には、
蛇の皮が胴を包む様に張られており、
胴も丸いものでした。
本土に入り、
胴が四角になり、大きくなったので
蛇皮ではなく、犬や猫の皮を
木の枠の表と裏に張る様になりました♪♪
(本土では蛇を捕るのが難しい、という説もあります)
呼び名も「サミセン」「シャミセン」となりました♪
胴の写真を見ていただきたいのですが、
弦は絹糸で
太さの違う3本の糸をかけます。
右側にあります、
小さく細長い物は、
「駒」と言いまして、
箏でいう琴柱(ことじ)の役割をしています
さて、三味線を最初に手にしたのは
「琵琶法師」でしたので、
琵琶の時に用いられる形に似た撥で弾かれる様になりました。
中国でも、琉球でも、撥ではなく、
義爪(ぎそう)か指頭で演奏していました。
初めに手にしたのが、
琵琶法師だった、というのは
偶然?なのでしょうけれど、
もし、琵琶法師が手にしなかったら…と想像は膨らみます(^_^)
写真は、現在、私が使っております地歌用の撥です。
三味線は、本土に伝わってから、
あっという間に広がり、
様々な細かいジャンルが生まれ、
撥の形もジャンルにより変化しました。
三味線は、他の弦楽器と同じ様に、
糸巻きの部分で調弦して
長い木の部分の「棹」(ギターやチェロなどでは「ネック」)
の部分のツボを指で押さえながら
撥で弾いて音を出すのです。
10月25日番外編⑦⑧で載せました
三絃(三味線)と尺八、鼓による
富士喜会の演奏『八千代獅子』を
お聞きになった方もいらっしゃると思いますが、
その三絃のお話を、
今回から、
楽器の伝来や構造、弾き方などなどを
曲の紹介を交えつつ進めていきたいと思います。
三絃と箏は、別々のジャンルだったのですが、
1688年頃から交流し始めまして、
もともと三絃の曲だった物に、
合奏できる様に箏の手が作られていきました♪
箏は、奈良時代には中国(唐)から伝来しておりましたが、
三絃(三味線)が伝来したのは
かなり後になります☆
中国には「元」の時代より
「三弦(サンシュン)」という楽器が存在していました♪ ↓
14世紀末、
琉球に伝来します。
現在でも沖縄で使用されている「サンシン」と呼ばれている物で、
「サンシン」は、中国から伝来してから
形状は ほぼ一緒のまま
今でも使われています♪
↓
1558~1569年に大阪の堺港に入り、
本土に三味線が伝わりました☆
(初めて見た方達は驚いたことでしょう(^O^))
本土に入って来た時には、
蛇の皮が胴を包む様に張られており、
胴も丸いものでした。
本土に入り、
胴が四角になり、大きくなったので
蛇皮ではなく、犬や猫の皮を
木の枠の表と裏に張る様になりました♪♪
(本土では蛇を捕るのが難しい、という説もあります)
呼び名も「サミセン」「シャミセン」となりました♪
胴の写真を見ていただきたいのですが、
弦は絹糸で
太さの違う3本の糸をかけます。
右側にあります、
小さく細長い物は、
「駒」と言いまして、
箏でいう琴柱(ことじ)の役割をしています
さて、三味線を最初に手にしたのは
「琵琶法師」でしたので、
琵琶の時に用いられる形に似た撥で弾かれる様になりました。
中国でも、琉球でも、撥ではなく、
義爪(ぎそう)か指頭で演奏していました。
初めに手にしたのが、
琵琶法師だった、というのは
偶然?なのでしょうけれど、
もし、琵琶法師が手にしなかったら…と想像は膨らみます(^_^)
写真は、現在、私が使っております地歌用の撥です。
三味線は、本土に伝わってから、
あっという間に広がり、
様々な細かいジャンルが生まれ、
撥の形もジャンルにより変化しました。
三味線は、他の弦楽器と同じ様に、
糸巻きの部分で調弦して
長い木の部分の「棹」(ギターやチェロなどでは「ネック」)
の部分のツボを指で押さえながら
撥で弾いて音を出すのです。
2011年1月19日水曜日
⑱邦楽の音階について
前回、
箏(琴)の調弦の基本の調子となる
「平調子」の音色を聴いていただきました♪
聴いていただいて、
強く弾いていた音
弱く弾いていた音にお気づきになったことと思います。
今回は、<邦楽の音階について>です♪♪
基本となる音階の考え方は、
中国の音楽理論を応用したものです。
日本に伝来して、
音階名はそのままですが、
考え方は少し変化しております☆
さて、
邦楽の音階は、
「陰旋律(いんせんりつ)」と
「陽旋律(ようせんりつ)」
に大きく別けられます。
私が勉強しております、箏や三絃は「陰旋律」です♪
「陽旋律」は地方に多く、
民謡などの旋律として使われております。
↑どちらにしても、
日本音楽の音階は
統べて五音音階なのです♪
「五音音階の名称」は、
それぞれ
「宮(きゅう)」、「商(しょう)」、「角(かく)」、「徴(ち)」、「羽(う)」
といいます。
五音音階の特徴は、
陰性の音色を
メロディーの中に折り込んでいるところにあるのですが、
「宮(きゅう)」 陽性 主音
「商(しょう)」 陰性
「角(かく)」 陽性 補音
「徴(ち)」 陽性 副主音
「羽(う)」 陰性
★陰性の音は弱く弾きます
前回 聴いていただきました、
「平調子」は、
弦を弾いた順から数えて
五番目の音から
「宮・商・角・徴・羽」の音階をとりますので、
六番目、九番目 が陰性の音で弱く弾きます(^^)
オクターブの関係を考えますので、
四番目、六番目、九番目、十一番目(斗)が
陰性となるので弱く弾いているのです(^0^)/
その時の曲の調子によって、
どの弦から五音音階をとるかが
変化しますので、
音の陰陽も変わり、
弾く時の強弱も変わるのです♪♪
もう少し詳しく書きますと
音階の上行するとき(「羽」から「宮」へ弾くとき)
また、下行するとき(「宮から「羽」へ弾くとき)
それぞれで、「羽」音が変化する法則もあります
それは
作曲者の曲想によって、
軽快な感じ、または
奥ゆかしい深みのある味わいを
表現するのに使われるのです。
とくに、陰性の音は
音の表情を表現する大切な役目を持っています。
ここまでくると
音の色合いを表現する奏法を
意識する・・といった、言い回しになってきて
学べば学ぶほど、奥が深く
一言では、説明しきれません。
井上江雲先生がいつもおっしゃってた言葉
流派を超えて
「美しく弾くこと」
これに尽きるのかもしれません。
箏(琴)の調弦の基本の調子となる
「平調子」の音色を聴いていただきました♪
聴いていただいて、
強く弾いていた音
弱く弾いていた音にお気づきになったことと思います。
今回は、<邦楽の音階について>です♪♪
基本となる音階の考え方は、
中国の音楽理論を応用したものです。
日本に伝来して、
音階名はそのままですが、
考え方は少し変化しております☆
さて、
邦楽の音階は、
「陰旋律(いんせんりつ)」と
「陽旋律(ようせんりつ)」
に大きく別けられます。
私が勉強しております、箏や三絃は「陰旋律」です♪
「陽旋律」は地方に多く、
民謡などの旋律として使われております。
↑どちらにしても、
日本音楽の音階は
統べて五音音階なのです♪
「五音音階の名称」は、
それぞれ
「宮(きゅう)」、「商(しょう)」、「角(かく)」、「徴(ち)」、「羽(う)」
といいます。
五音音階の特徴は、
陰性の音色を
メロディーの中に折り込んでいるところにあるのですが、
「宮(きゅう)」 陽性 主音
「商(しょう)」 陰性
「角(かく)」 陽性 補音
「徴(ち)」 陽性 副主音
「羽(う)」 陰性
★陰性の音は弱く弾きます
前回 聴いていただきました、
「平調子」は、
弦を弾いた順から数えて
五番目の音から
「宮・商・角・徴・羽」の音階をとりますので、
六番目、九番目 が陰性の音で弱く弾きます(^^)
オクターブの関係を考えますので、
四番目、六番目、九番目、十一番目(斗)が
陰性となるので弱く弾いているのです(^0^)/
その時の曲の調子によって、
どの弦から五音音階をとるかが
変化しますので、
音の陰陽も変わり、
弾く時の強弱も変わるのです♪♪
もう少し詳しく書きますと
音階の上行するとき(「羽」から「宮」へ弾くとき)
また、下行するとき(「宮から「羽」へ弾くとき)
それぞれで、「羽」音が変化する法則もあります
それは
作曲者の曲想によって、
軽快な感じ、または
奥ゆかしい深みのある味わいを
表現するのに使われるのです。
とくに、陰性の音は
音の表情を表現する大切な役目を持っています。
ここまでくると
音の色合いを表現する奏法を
意識する・・といった、言い回しになってきて
学べば学ぶほど、奥が深く
一言では、説明しきれません。
井上江雲先生がいつもおっしゃってた言葉
流派を超えて
「美しく弾くこと」
これに尽きるのかもしれません。
2011年1月12日水曜日
⑰平調子に調弦する方法
前回、
⑯一越(D)のお話を書きました。
そこで、今回は、
「一をDで平調子に調弦する方法」を書いていきます♪
箏という楽器は、
弦に琴柱(ことじ)をかけ、
琴柱を動かして調弦する楽器です
「平調子」というのは、
箏の基本となる調子なのですが、
一から順に弾いた音を聴いているだけでも
とても心地よい調子です(^0^)/
箏の調弦は、純正律
~自然倍音に基づく純正な音程なので、
美しい響きが得られます
♪「平調子」の調弦法です
(一をD=尺八のロ)
① 調子笛などでDを、
尺八でロの音を出していただいて
その音と一の弦を合わす。
② 一、二の弦を中指で弾き、完全5度に合わす。
③ 一と三を同時に弾き、響きを確かめて
完全4度に合わす。
④ 四と三を弾きながら、半音に合わせる。
古曲の場合は、やや低め。
近代以降のは平均律の半音と同じ。
⑤ 一と五を同時に弾いて、同じ音に。
⑥ 六、五を弾いて半音に。
④の場合と同じく、古曲の場合は低め。
⑦ 七から後は、二と七、三と八、
四と九、五と十、六と斗、
七と為、八と巾を
それぞれ同時に弾いて、1オクターブに合わせます♪
すると、琴柱はこの様な位置になります☆
いつもは、
体で覚えて自然に行っている動作を
言葉で書くのは難しいですし、
どの様な音になるのかも想像するのが難しいと思いまして、
師匠に平調子を弾いていただきました(^0^)/
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、斗(と)、為(い)、巾(きん)
と順に弾いています♪♪
四、九 と 六、斗を低めに弾くと、
特に古曲を弾く時には
三絃(三味線)との合奏とも音が合いますし、
曲も しっとりとしたものになるのです。
⑯一越(D)のお話を書きました。
そこで、今回は、
「一をDで平調子に調弦する方法」を書いていきます♪
箏という楽器は、
弦に琴柱(ことじ)をかけ、
琴柱を動かして調弦する楽器です
「平調子」というのは、
箏の基本となる調子なのですが、
一から順に弾いた音を聴いているだけでも
とても心地よい調子です(^0^)/
箏の調弦は、純正律
~自然倍音に基づく純正な音程なので、
美しい響きが得られます
♪「平調子」の調弦法です
(一をD=尺八のロ)
① 調子笛などでDを、
尺八でロの音を出していただいて
その音と一の弦を合わす。
② 一、二の弦を中指で弾き、完全5度に合わす。
③ 一と三を同時に弾き、響きを確かめて
完全4度に合わす。
④ 四と三を弾きながら、半音に合わせる。
古曲の場合は、やや低め。
近代以降のは平均律の半音と同じ。
⑤ 一と五を同時に弾いて、同じ音に。
⑥ 六、五を弾いて半音に。
④の場合と同じく、古曲の場合は低め。
⑦ 七から後は、二と七、三と八、
四と九、五と十、六と斗、
七と為、八と巾を
それぞれ同時に弾いて、1オクターブに合わせます♪
すると、琴柱はこの様な位置になります☆
いつもは、
体で覚えて自然に行っている動作を
言葉で書くのは難しいですし、
どの様な音になるのかも想像するのが難しいと思いまして、
師匠に平調子を弾いていただきました(^0^)/
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、斗(と)、為(い)、巾(きん)
と順に弾いています♪♪
四、九 と 六、斗を低めに弾くと、
特に古曲を弾く時には
三絃(三味線)との合奏とも音が合いますし、
曲も しっとりとしたものになるのです。
2011年1月11日火曜日
2011年1月5日水曜日
⑯除夜の鐘と 壱越(D)のお話
お箏と三絃の調弦をする際、
調子笛で、Dの音を基本にする場合が多いのですが、
今日はその D の音 のお話です。
*******************
大晦日から 「除夜の鐘」を聴きつつ、
新年を迎えた方もいらっしゃると思います(^_^)/
梵鐘の いつまでも続く余韻を聴いていると
今年は こんな一年だったなぁ…
そして 「あぁ、一年こうありたいなぁ~」と、
日付が変わり、新年を迎えた時刻に
鐘の音を聴くとしみじみ思うのですが、
あの、大きなお寺の鐘(梵鐘)は
「壱越(いちこつ)」という高さの音がする様に作られるのが基本です☆
「壱越」というのは、英米音名、ドイツ音名で言いますと「D」にあたります。
そして、読経をしながら打ち鳴らす
「キン(磬)」も
壱越の高さに音が鳴る様に作られています。
この、「キン」は、
読経の声の高さの目安の為の「音叉」の役割と、
叩く速さで、読経のの速さを表しているとのこと。
さて、
筝(琴)や三絃(三味線)の調弦をする際に、
調子笛を使って 「一を壱越の音の高さにして…」
という曲は多いのです。
上記は、『七小町』という曲の楽譜の一部です。
ここには、「こうやって調弦する」ということが書かれているのですが、
三絃の「一の糸」
=尺八の「ロ」
=筝の「一」 となるように調弦する、
と書かれているのです。
(※都山、琴古と書かれているのが尺八です)
尺八の「ロ」は、壱越の高さなので、
三絃の一の糸も、筝の一も壱越の高さにして
調弦してくださいと書かれているのです。
どうして壱越(D)を基本として調弦するのか
もともと、琴も三絃も中国由来だからかしら~?
と文献をあたったのですが、
明確な理由には出会えませんでした(+_+)
歴史を見ると、僧の方とも関わりがあるので、
梵鐘やキンの音、読経の声の高さに秘密がある様な(^^)
心に響く音が、壱越(D)だったのかもしれないし、
心地よく感じる音が壱越だったのかもしれません♪♪
除夜の鐘の後は、正月の獅子舞を堪能したいです~(*^。^*)
このコラムでもご紹介いたしました『八千代獅子』も
お正月はとくに、お店などでも耳にいたしますね♪
この曲は、歌のない部分が先に作られて、
後から歌がついたという説があるのですが、
「後唄」という、終わりの方に出てくる歌は
♪ 雪ぞかかれる 松の二葉に
雪ぞかかれる 松のふたばに
という、今の時期の景色にぴったりな歌詞なのです☆
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